仁和寺
〜世界遺産〜

金堂(国宝)-仁和寺-
金堂(国宝)-仁和寺-

【関連情報】
仁和寺〜御室桜〜(春の風景2014写真集3)
仁和寺〜御殿〜(春の風景2017写真集4)

仁和寺縁起〜筆頭門跡寺院〜

中門-仁和寺-中門-仁和寺-

光孝天皇が建立を発願した寺院(西山御願寺)を、天皇の第七皇子である宇多天皇が引き継いで造営を完成し、仁和4年(888)8月に先帝・光孝天皇の一周忌の御斎会(ごさいえ)を兼ねて、金堂で落慶供養が行われました。寺号は、年号をとって仁和寺と名付けられました。宇多天皇は寛平(かんぴょう)9年(897)7月に31歳で、第一皇子である醍醐天皇に譲位し、昌泰(しょうたい)2年(899)10月、落飾して法皇となりました。延喜(えんぎ)4年(904)、宇多法皇は仁和寺の一廓に室(むろ)を構え、ここを起居する御所としたことからこの建物は御室御所と呼ばれるようになり、後の生涯をこの地で過ごしました。御室(おむろ)は、仁和寺一帯を指す地名ですが、そもそも「ぎょしつ」という、天皇が移られた特別な地の呼び名から根付いたものが今に伝わったものだといわれます。ここに最初の門跡寺院としての仁和寺の歴史が始まります。

宸翰消息(しんかんしょうそく)

五重塔-仁和寺-五重塔-仁和寺-

宇多法皇が仁和寺第一世となって以降、歴代門跡(住持)は天皇と兄弟関係にあったことからも、仁和寺には天皇との間で交わされた消息(手紙)が残っています。 中でも、「高倉天皇宸翰消息」(たかくらてんのうしんかんしょうそく)(国宝)と「守覚法親王消息」(しゅうかくほっしんのうしょうそく)(国宝)は、皇室における兄弟間の思いやりが偲ばれます。

「高倉天皇宸翰消息」は、高倉天皇が仁和寺第六世の兄・守覚法親王に宛てた高倉天皇直筆の消息(手紙)で、高倉天皇の中宮(妻)平徳子(たいらのとくこ、平清盛の次女、建礼門院→寂光院)の安産祈願の孔雀経法(くじゃくきょうほう、※1)のお陰で、治承2年(1178)無事皇子が生まれたことへの高倉天皇の素直な喜びと感謝の気持ちがしたためられています。

一方の「守覚法親王消息」は守覚法親王が高倉天皇からの消息(手紙)に対してしたためた返書で、宸翰消息(天皇直筆の手紙)を賜った栄誉に対し不覚の涙を禁じ得ず、永くこの「天書」を後の門跡の鑑(かがみ)として伝えることを述べたものとなっています。尚この時生れた皇子は後の安徳天皇で、元暦(げんりゃく)2年(1185)3月、壇ノ浦の戦いで平家が敗れたため入水し、その短い生涯を閉じています。

また、「後嵯峨天皇宸翰消息」(国宝)は、後嵯峨天皇が寛元(かんげん)4年(1246)に仁和寺第9世道深(どうじん)法親王に宛てた天皇直筆の消息で、道深法親王による孔雀経法(※1)のお陰で、大凶だった前年をつつがなく乗り越えることができ、今年も風雨順調であることに対して感謝の気持ちを表した内容となっています。

※1孔雀経法…
仁和寺を最も特徴づける修法(しゅほう、密教で行う加持祈祷などの法)で、天災など国家的災禍の消除から、天皇中宮の安産祈願まで、仁和寺歴代門跡が修した大法とされました。

日本最古の医書

鐘楼-仁和寺-鐘楼-仁和寺-

一方、仁和寺には東洋医学の古典ともされる医書も残っています。国宝に指定されている医書は5点あり、そのうちの4点が仁和寺に所蔵されており、「医心方」(いしんほう)、「黄帝内経明堂」(こうていないけいめいどう)、「黄帝内経太素」(こうていないけいたいそ)、「新修本草」(しんしゅうほんぞう)です。

仁和寺の一院に宮内省典薬頭(てんやくのかみ、朝廷で医療・調薬を担当する部署の長官)を受け継いだ医家の丹波家出身の住持がいたことから、これらの医書が残されたものと考えられています。

「医心方」は永観2年(984)朝廷へ献上された中国隋・唐の医学書百数十部を底本として撰述した日本最古の医書です。「黄帝内経明堂」と「黄帝内経太素」は中国伝説上の皇帝・黄帝と名医・岐伯(きはく)の問答の形をとり医学理論(太素)と鍼灸など臨床治療(明堂)を論じたものです。「新修本草」は、薬草から薬果、薬石まで850種に及ぶ膨大な本草(漢方の薬の原料)を収録したものとなっています。これらの医書の参照本となった中国の本はほとんど失われているということで、大変貴重なものとなっています。

将軍家光のはからい

仁和寺は創建以降、鎌倉時代中頃までは隆盛を極めましたが、その後は武家社会の保護を受けた禅宗の台頭や応仁の乱の戦火を受けて全てを焼失するという悲劇も経験しました。こうして長らく低迷の時代を過ごすことになりました。

その後江戸時代になって、仁和寺から再興の申し入れを受けた3代将軍徳川家光は二十万両を超える額を寄進したとされます。更に御所からいくつかの建物を移築したりして伽藍を整備していき、次第に復興へと向かうことになり、今日に至っています。

二王門-仁和寺-
二王門-仁和寺-

≪関連情報≫
項目 内容
名称 仁和寺
所在地 京都市右京区御室大内33
山号 大内山
宗派 真言宗御室派
本尊 阿弥陀如来
創建年 仁和4年(888)
開基 宇多天皇
文化財
国宝
金堂、薬師如来坐像、高倉天皇宸翰消息、医心方ほか
重要文化財
二王門、五重塔、鐘楼ほか

【境内概観図】※図の操作については下記をご参照ください。

【マップ掲載番号の説明】

図中の[地図]のボタンをクリックして、その下に表示される「航空写真」をクリックし、図を拡大表示する(下記「マップの操作について」参照)とよりはっきりと見ることができます。
  1. 二王門
  2. 勅使門
  3. 中門
  4. 御室桜
  5. 九所明神
  6. 経蔵
  7. 金堂
  8. 鐘楼

図の操作について

  • 図の上でマウスを任意の方向に動かす(ドラッグする)と表示範囲が変わります。
  • 図中の+(プラス)ボタンをクリックする毎に図が拡大され、−(マイナス)ボタンをクリックする毎に図が縮小されます。
  • 図中の[地図]のボタンをクリックすると地図タイプを切り替えることができます。
  • 非表示にした吹き出しを再度表示するには、赤いアイコンをクリックして下さい。
  • 最初の状態に戻すには、キーボードのF5キーを押下してください。

近隣の観光スポット情報

上記【境内概観図】の中の左上に表示されているマイナス(−)ボタンを3回クリックすると北東の方角(右上)に龍安寺〜世界遺産〜、鹿苑寺(金閣寺)〜世界遺産〜があることが分かります。歩いても訪れることのできる距離です。

また、仁和寺の前を通っている「きぬかけの道」から府道29号線に沿って真直ぐ西(龍安寺、鹿苑寺(金閣寺)方面とは逆方向)へ行くと広沢池大覚寺を通って嵐山の方へ向かうことができます。こちらは歩きではしんどいでしょうね・・・。

posted by はんなり・ジャーニー at 17:13 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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