
金閣と鏡湖池に映る「逆さ金閣」
鹿苑寺は金閣寺という別称でもよく知られ、鏡湖池の畔に立つ金閣の美しい姿は、四季を通して訪れる人々を魅了し続けています。
鹿苑寺は慈照寺(銀閣寺)とともに、相國寺の山外塔頭(→建築用語)です。
北山殿(後の鹿苑寺)造営
鏡湖池の畔
足利三代将軍義満は応永元年(1394)、将軍職を子の義持(よしもち)に譲り、翌応永2年(1395)に38歳の若さで出家、別業の地(隠居処)として応永4年(1397)、西園寺家から京都の西北に位置する北山(きたやま)にあった御殿「北山第」(きたやまだい)を譲り受けました。鎌倉幕府への協力で権力を得て栄華を極めた西園寺家でしたが、元弘3年(1333)後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕のため兵を挙げ、足利高(尊)氏、新田義貞らが北条一族を滅ぼし鎌倉幕府が倒れて次第に権勢の座から遠ざかるにつれ、かつては地上の仙境とも評された北山第は荒廃していきましたが、義満は新たに舎利殿をはじめとした建造や改築を行って山荘(「北山殿」(きたやまどの)、後の鹿苑寺)を造営し、翌応永5年(1398)、完成したこの地に移住しました。この北山殿は、自らの居所としての北御所、妻・日野康子の南御所、崇賢門院(すうけんもんいん。後円融天皇の生母)の御所という3つの建物から成る壮大な邸宅でした。
義満は将軍職を譲った後も日本を支配し統治する実権は手放さず、応永15年(1408)5月、51歳にして没するまでの10年間、この北山殿で政務を行いました。
能舞上覧
金閣寺舎利殿(金閣)の裏側
義満の死の2か月前の同年3月、義満が北山殿に南北朝合一後の初代天皇の後小松天皇を迎えて盛大な宴が催されました。その折に義満の寵愛を受けていた猿楽師道阿弥(犬王(いぬおう)。能の名手として観阿弥・世阿弥とともに人気を博していました。)が天皇に能舞を上覧するという歴史的なことが起こりました。これを機に能は日本の伝統芸能となっていくこととなりました。また義満の庇護を受けていた世阿弥も猿楽を集大成していくことになりました。
鹿苑寺創建
義満亡きあとはその妻、日野康子が住んでいましたが、その康子も没した後、義満の後を継いだ義持は、父の義満が長男である自分よりも次男の義嗣(よしつぐ)を偏愛するなど疎(うと)んじられていたこともあって、北山殿の建物の大半を解体し、諸寺院(南禅寺、建仁寺など)に分け与えてしまいました。そのような中で唯一この地に残されたのが、鏡湖池(きょうこち)の畔に立つ舎利殿でした。そしてこの舎利殿を中心として創建されたのが鹿苑寺でした。義持は、義満の法名「鹿苑院殿天山道有大居士」にちなんでこの北山殿を鹿苑寺と名付け、戒師に夢窓疎石(むそうそせき)を迎えて禅寺とするなど、鹿苑寺の創建にも着手しました。
京都の町の人々は、鹿苑寺の金箔のはられた舎利殿が金色に光り輝くことから、この舎利殿を金閣、寺院全体を金閣寺と呼びました。
度重なる試練
鐘楼
その後鹿苑寺は幾多の荒廃と修復を迎えることになります。中でも足利八代将軍義政の後継者争いなど諸要因によって起こった細川勝元と山名持豊(出家して山名宗全)らの争いとなった応仁元年(1467)に始まる応仁の乱では、舎利殿(金閣)や護摩堂などごく少数を除いては陣地構築のため寺の資材が略奪されたり焼失したりなどして、その荒廃ぶりにはすさまじいものがあったとされています。
一方、鹿苑寺住持による懸命の復興修理や江戸幕府による修理復元も行われました。 時は下って昭和25年(1950)7月2日未明、この寺に住んでいた青年僧の放火によって国宝に指定されていた舎利殿(金閣)と安置されていた仏像等が焼失してしまいました。これに伴い国宝の指定は解除されました。
火災を免れた鳳凰
現在の舎利殿(金閣)は昭和30年(1955)に復元されたもので、更に昭和62年(1987)第二層、第三層の金箔が5倍の厚さの箔に張り替えられ、創建時の輝きを漂わせています。
鳳凰
舎利殿(金閣)の屋根の頂きに南を向いて立つ現在の鳳凰は、昭和62年の修理の際に金箔で覆われ装いも新たにされたものです。明治37年(1904)から39年(1906)にかけての修理の際に取り外されて保管されていたため、昭和25年の火災は免れ、舎利殿(金閣)創建時の遺品として現存しています。
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金閣寺舎利殿(金閣)の裏側
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 正式名 | 北山鹿苑寺(ほくざんろくおんじ) |
| 別称 | 金閣寺 |
| 所在地 | 京都市北区金閣寺町1 |
| 山号 | 北山(ほくざん) |
| 宗派 | 臨済宗相国寺派 |
| 本尊 | 観音菩薩 |
| 寺格 | 相国寺山外塔頭 |
| 創建年 | 応永4年(1397) |
| 開基 | 足利義満(足利三代将軍鹿苑院殿天山道有大居士(てんざんどうゆうだいこじ)義満) |
| 開山 | 夢窓疎石(むそうそせき) |
| 文化財 |
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【境内概観図】※図の操作については下記をご参照ください。
【マップ掲載番号の説明】
- ※
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- 黒門
- 総門
- 舟形石
- 鐘楼
- 庫裏
- 書院
- 方丈
- 唐門
- 鏡湖池
- 葦原島(あしはらじま)
- 榊雲(しんうん)
- 銀河泉(ぎんがせん)
- 巌下水(がんかすい)
- 金閣寺垣
- 竜門滝
- 安民沢
- 白蛇塚
- 夕佳亭(せっかてい)
- 不動堂
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近隣の観光スポット情報
鹿苑寺黒門前の鏡石通となっている「きぬかけの道」に沿って南西の方へ行くと、龍安寺〜世界遺産〜から仁和寺〜世界遺産〜へと訪れることが出来ます。更にそのまま「きぬかけの道」から府道29号線に沿って西へ向かうと広沢池、大覚寺を通って嵐山の方へと出ます。
一方、鹿苑寺黒門前から西大路通に出て、金閣寺前交差点から北大路通に沿って東の方へ行くと高桐院等がある大徳寺を訪れることができます。


