神護寺

境内から見た楼門-神護寺-
境内から見た楼門-神護寺-

神護寺は、「洛西の三尾(らくさいのさんび)」と称され、京都市街の北西に並ぶ高雄(たかお)、槙尾(まきのお)、栂尾(とがのお)の山々の高雄山の中腹に位置する寺院です。高雄は昔から「紅葉といえば高雄」と言われるほど、日本屈指の紅葉の名所であり、神護寺紅葉の名所として知られています。

また神護寺は、日本仏教界を代表する二人の傑僧、最澄(伝教大師767〜822天台宗の開祖)と空海(弘法大師774〜835真言宗の開祖)が交流し、決裂した舞台でもありました。

神護寺縁起

石段から見た楼門-神護寺-石段から見た楼門-神護寺-
高雄山の麓を流れる清滝川に架かる高雄橋を過ぎた所から神護寺へと続く石段を登り切った所に建つ楼門。
一息ついて見る、石段を覆った紅葉の美しさは足の疲れを癒してくれます。

天長元年(824、平安時代)、和気清麻呂(わけのきよまろ、733〜799)を開基として、現在の神護寺の地にあった高雄山寺(たかおさんじ)が神願寺(じんがんじ、所在地は不明)を吸収合併しました。これにより高雄山寺は「神護国祚真言寺」(じんごこくそしんごんじ、神護寺の正式名)、略して「神護寺」と改称されました。山号は高雄山、宗派は高野山真言宗です。

和気清麻呂

大師堂-神護寺-大師堂-神護寺-
柿葺(こけらぶき)の仏堂で、弘法大師空海神護寺の前身である高雄山寺に住い活動していた時の住坊であった「納涼坊」を由緒としています。現存するものは桃山時代に再建されたものです。

和気清麻呂は、奈良時代末期から平安時代初期にかけて高級官僚を務め、桓武(かんむ)天皇の下では平安遷都に進言し、造営大夫(最高責任者)として尽力しました。高雄山寺も神願寺も和気清麻呂が奈良時代に建立したもので、高雄山寺は私寺として、神願寺は国家安泰を祈願し桓武天皇の許可を得て官寺として建立したものです。弘仁3年(812)10月、空海が高雄山寺に住い活動を開始してからは、高雄山寺は大きく発展し、和気氏の私寺であったのが、官寺へと格上げされ、それに伴い神願寺と合併することになりました。

最澄と空海の交流

五大堂-神護寺-五大堂-神護寺-

和気清麻呂の没後、まだ神護寺の前身である高雄山寺に、その息子たちは、日本仏教界を代表する二人の傑僧、最澄空海を招いています。弘仁3年(812)11月高雄山寺において、空海はかねてより最澄から要請のあった灌頂(かんじょう、密教の重要な儀式)を行いました。この時、灌頂を受けた者の氏名を書き付けた空海自身の筆になる名簿が「灌頂歴名」(かんじょうれきみょう)(国宝)です。受者の筆頭には最澄の名が記されています。間違った字は墨でつぶして上から書き直している箇所も見受けられ、灌頂を進めながら書きこんでいる様子がうかがえます。また「高雄山寺」の寺号の記載も見られます。最澄空海は高雄山寺を舞台に真剣な交流を展開したことがうかがえます。

決裂

明王堂-神護寺-明王堂-神護寺-

ところが最澄空海の交流は、灌頂授法の直後から崩れていきます。最澄が最も信頼していた弟子が高雄山寺にとどまり、空海の弟子となってしまったことがその要因です。また最澄が「理趣釈経」(りしゅしゃっきょう)の借用を求めてきたことに対して、空海が強く拒否したこともあって、これ以降2人の関係はしだいに疎遠になってしまいました。

衰退と再興

時は約300年下って、鎌倉時代になる少し前、鳥羽法皇の怒りをかったことから、神護寺は荒れ果ててしまうことになりました。そこに神護寺の復興に尽力することになる文覚上人(もんがくしょうにん)が現れました。文覚上人は鳥羽天皇の下で北面の武士(平安朝も後期に入った11世紀末白河法皇(院)が創設したもので、院の直属軍として、院の北面(北側の部屋)に詰め、院の身辺護衛や御幸の際に供をした武士)として仕えていましたが、若くして出家しました。気性はかなり激しい人だったようで、復興が思うに任せぬことから神護寺の再興を後白河天皇に強訴したことにより、流罪となって伊豆へ流されました。当時は平氏が政権を握った時で、永暦(えいりゃく)元年(1160)3月、同じく伊豆へ配流の身となっていた源頼朝と知り合うこととなりました。それから20年後の治承(じしょう)4年(1180)8月、頼朝が伊豆で挙兵して平氏を討滅し、権力を掌握していく中で、頼朝や後白河法皇の庇護を受けて神護寺の再興に努めました。

毘沙門堂、五大堂から金堂を望む-神護寺-
毘沙門堂(右手前)、五大堂(一つ奥)と金堂(石段の上)-神護寺-

≪関連情報≫
項目 内容
正式名 高雄山神護国祚真言寺
所在地 京都市右京区梅ヶ畑高雄町5
山号 高雄山
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来(国宝)
創建年 天長元年(824)
開基 和気清麻呂
初代
住持
弘法大師空海
文化財
国宝
木造薬師如来立像、絹本著色釈迦如来像、灌頂歴名、梵鐘ほか
重要文化財
大師堂、絹本著色十二天像六曲屏風、絹本著色真言八祖像8幅ほか

【境内概観図】※図の操作については下記をご参照ください。

【マップ掲載番号の説明】

図中の右上に表示されている「地図」をクリックして、その下に表示される「航空写真」をクリックし、図を拡大表示する(下記「マップの操作について」参照)とよりはっきりと見ることができます。
  1. 楼門
  2. 五大堂
  3. 毘沙門堂
  4. 大師堂
  5. 金堂
  6. 多宝塔
  7. 鐘楼
  8. 明王堂
  9. 和気公霊廟
  10. 硯石(※)
  11. 下乗石(※)
  12. 高雄橋(※)
※…図の右側に隠れていますので、左側にドラッグして下さい。

図の操作について

  • 図の上でマウスを任意の方向に動かす(ドラッグする)と表示範囲が変わります。
  • 図の左にある+(プラス)ボタンをクリックする毎に図が拡大され、−(マイナス)ボタンをクリックする毎に図が縮小されます。
  • 図の右上にある[地図]のボタンをクリックすると地図タイプを切り替えることができます。
  • 非表示にした吹き出しを再度表示するには、赤いアイコンをクリックして下さい。
  • 最初の状態に戻すには、キーボードのF5キーを押下してください。

近隣の観光スポット情報

上記【境内概観図】で、高雄橋(図中番号12)が架かっている清滝川を上流(図の上の方)へ辿っていくと「鳥獣人物戯画」、石水院(国宝)など多くの文化財を伝える寺院として知られる高山寺(こうざんじ)があります。

posted by はんなり・ジャーニー at 19:00 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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