
四条通沿いの先斗町入口
デューク・エイセス(男性4人のボーカルグループ)の、京都の大原・栂尾(トガノオ)・嵐山を舞台にした代表曲「女ひとり」(昭和40年(1965))の歌い出し「京都 大原 三千院」で一躍名が知られるようになった三千院。
一方、和田弘とマヒナスターズ(男性5人の音楽グループ)の「富士の高嶺に降る雪も京都先斗町に降る雪も」の歌い出しに始まる「お座敷小唄」(昭和39年(1964))が空前の大ヒットとなって、「ぽんとちょう」という読み方も、またその存在も広く知られるようになった先斗町。
ときおりお茶屋さんへと向かう芸妓さんや舞妓さんとすれ違ったり、日も暮れかかって提灯(ちょうちん)に明かりがともる頃になってくると京都の風情が一段と増してきます。
先斗町のはじまり
鴨川を背に建つ先斗町歌舞練場(右端の茶色い大きな建物)
鴨川をどり(5月開催)や水明会(10月開催)など先斗町歌舞会主催の行事が行われたり、また一般にも貸し出され、邦楽や日舞の発表会、展示会、お稽古場、講演会、コンサートなど様々な催しにも利用されています。

先斗町は三条通の一筋南から四条通まで続く、南北約500m、道幅2〜3mほどの細長い街。道の両側にはお茶屋さんや飲食店が建ち並んでいます。
徳川家康が江戸に幕府を開いた慶長(けいちょう)8年(1603)から8年経った慶長16年、鴨川に沿ってその西側に豪商角倉了以(すみのくらりょうい)父子によって、京都中心部と伏見を結ぶ物流用の運河である高瀬川が造営されました。これに伴い、度々氾濫しては洪水を引き起こしていた鴨川と高瀬川の間の護岸工事が行われ、寛文(かんぶん)10年(1670)に、その工事が終了すると、土砂を入れ中ノ島となりました。
そして延宝(えんぽう)2年(1674)の頃になると、その地の北端の一角(先端)に五軒ほどの家ができたといいます。その後この地は東山を見晴らし、目の前には鴨川が流れる景色の良い場所だったことからも、ここの「先端の場所」に家が建ち並びはじめ、町並みが整えられていきました。当時は既に鎖国政策がとられて30年程が経っていましたが、それまでは京の町にもポルトガル人宣教師も数多く滞在していた影響もあってか、先端、先、場所の意味を持つポルトガル語の「ポント」からとって「先斗町」と呼ばれるようになりました。(参考:「先斗町」の名前の由来は他にも様々な説があります。)
正徳(しょうとく)2年(1712)になると、茶屋、旅籠茶屋が認可されたことから、花街としての先斗町が始まり、賑わうようになりました。
先斗町歌舞練場の鬼瓦
町名ではない先斗町
ところでこの「先斗町」という名称は、「町」が付いているので地名としての町名を表すようにもみえますが、そうではありません。実際に地図を見ても「先斗町」という町名は掲載されていません。
一方、先斗町を南北に走る細い「先斗町通」という通り名は、例えば「京都市中京区先斗町通三条下る橋下町」(先斗町歌舞練場界隈)のように住所表示の一部として使われます。下の写真は先斗町通に掲げてある住所表示です。

また、京都市都市計画局の「四条通地区地区計画」には「先斗町通四条上る柏屋町」が公文書にも掲載されています。
路地の町

路地
先斗町は、路地の町でもあります。三条通の一筋南から四条通までの細い先斗町通りを中心に、左右に32本の更なる細い路地が並んでいます。
路地は三条通一筋南から一番と数えます。行き止まりの「袋小路」もあれば、先斗町通の西側に平行して通る木屋町通へ出る「抜け路地」もあります。路地入口の上方に「通り抜けできます」「通り抜けできまへん」の表示があります。


こうした細い路地は先斗町の魅力でもあり、昔ながらの情緒を一層引き立てています。
先斗町の紋章
先斗町の紋章
京都には現在「五花街」と呼ばれ、賑わっている祇園甲部、祇園東、上七軒、先斗町、宮川町の五つの花街があります。
これらの花街にはそれぞれ紋章があります。先斗町の紋章は「鴨川ちどり」。明治5年(1872)に鴨川をどりが初めて開催されたときに創案されたものです。
かつては鴨川に数多くいたという千鳥も今ではあまり見かけなくなりましたが、先斗町通を歩いていると、千鳥の画が描かれた提灯があちらこちらの店先に掲げてあり、街の雰囲気を和やかに盛り上げています。

先斗町の日常
通りの左の標識にあるようにこの先斗町通は歩行者専用道路です。自転車は降りて押して歩きます。
納涼床
納涼床(四条大橋からの眺望)
納涼床と同様に、この時期は涼しくなった鴨川の堤防沿いで人々が語り合うのも京都の風物詩とも言えるでしょう。
夏の暑さの中を少しでも快適に過ごそうとして考え出されたものに風鈴、打ち水、簾(すだれ)といったものが身近なものとしてあげられますが、京都の夏には、その「盆地」という地形が格別な蒸し暑さをもたらします。そんな中で京都人が暑さを少しでも快適に過ごそうと知恵を絞り出したものの一つが鴨川の納涼床です。
先斗町の東を流れ、鴨川の堤防との間を流れる禊川(みそそぎがわ)の上に納涼床が組まれた光景は京都の夏の風物詩の一つでもあります。
今日のように鴨川に面した先斗町東側のお茶屋が鴨川に床をせり出す納涼床の風情は明治以降に見られるようになったといいます。鴨川の河原は大雨のたびに改修されました。、ことに昭和10年(1935)の先斗町を水浸しにした鴨川の大洪水のあとには、防災対策で鴨川の川底を削って水位を低下させ、禊川(みそそぎがわ)が設けられたのがきっかけで、今日のような夏の風物詩とも言えるほどの賑やかで華やかなものになり、三条大橋や四条大橋を渡る人々の目を引き付けています。
江戸時代中期頃の絵図には、鴨川の水の上に直接、床をかけ床几(しょうぎ)などを置いて涼をとるといった風情が描かれているものがあります。今日では状況は異なりますが、納涼床での夕涼みは、先斗町ならではの風情です。日の落ちるとともに、涼しくなった川風を受けながら酒肴を囲んで談笑に過ごすひと時には、格別の情緒があります。
鴨川納涼床は5月1日から9月30日まで開かれます。

静けさに包まれた先斗町
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