嵯峨野・竹林の道
〜古都・スポット風景〜

嵯峨野を象徴する竹林の道
嵯峨野を象徴する竹林の道
大河内山荘と野宮(ののみや)神社を結ぶこの竹林の道は最も嵯峨野らしい雰囲気を醸し出しています。
高く伸びた竹で覆われた竹林は、晴天の昼間でも地面に当たった木漏れ日がはっきりと見えるほどに薄暗く、辺りには一面静けさが漂います。
大河内山荘付近(下記【近隣観光マップ】の図中番号5)より撮影。

洛西の中心的スポットとして知られ、多くの人が訪れる嵯峨野。

嵯峨野に残されている古い文化遺産や豊かな自然は、人々の心を魅了し続けています。

嵯峨野

嵯峨野めぐりの起点・野宮(ののみや)神社前
嵯峨野めぐりの起点・野宮(ののみや)神社前
この垣根の奥が野宮神社で、紅い矢印のある方(写真右側)へ行くと、JR山陰線の踏切を超え、竹林を通って常寂光寺(じょうじゃっこうじ)や落柿舎(らくししゃ)などのある方へ行きます。

「嵯峨」という言葉が初めて文献にあらわれるのは、平安京遷都から8年が経った延暦21年(802)の『日本後紀』とされ、その頃の嵯峨野は当時の都であった平安京の郊外として、天皇や貴族たちの遊猟の地だったところといわれています。

嵯峨野とひとくちに言ってもその範囲は広く、現在に当てはめると、北は大覚寺(だいかくじ)あたり(北嵯峨)から、南は大堰川(おおいがわ)(桂川)から梅津付近まで、西は小倉山(おぐらやま)から化野(あだしの)、鳥居本あたり(奥嵯峨)から、東は広沢池、宇多野、太秦(うずまさ)をふくめた双ケ岡(ならびがおか)あたりに至るまでの広大な土地がこれに当たると考えられます。清少納言が「森は常盤(ときわ)の森」と書き記していますが、現在の京都市右京区常盤辺りまで、鬱蒼たる森林地帯だったことを伝えています。

そのような中、嵯峨天皇がまだ桓武(かんむ)天皇の皇子だった神野(かみの)親王の頃に、嵯峨の地に山荘として嵯峨院(大覚寺の前身)を建設しました。嵯峨天皇は空海との親交がことのほかに厚かったことは知られていますが、この嵯峨院に空海を呼んでは疫病、天災などの防止を祈り、仏門の教えをこうたといいます。

後に、嵯峨天皇はこの嵯峨院でその最後を迎えることになります。嵯峨天皇と諡(おくりな)されたのは、嵯峨天皇がよほど嵯峨の地が気に入っていたのか、たびたびここを訪れては嵯峨の地に示した愛着の深さと嵯峨の地に葬られたことによるとされています。

嵯峨野は、5世紀末頃から、太秦を根拠としていた渡来系の豪族・秦氏(はたうじ)により開発されたといわれています。そして嵯峨天皇もこの嵯峨野の開発に力を入れた人と言えます。嵯峨野は禁野とされ、特に風光明媚な地であることもあって、王朝貴族たちはここで盛んに風流を楽しむようになっていきます。そして次第に山荘・寺院の建立が盛んに行われるようになります。

また、文人墨客が世俗を離れて草庵を結び、侘び住まいをした地としても、嵯峨野は目を引くようになっていったのでした。

嵯峨野路のお店
嵯峨野路のお店
竹を材料にして作られた商品が店先を飾っています。
昔ながらの、何とも風情のある佇まいが感じられます。

今日、嵯峨野巡りといえば、紫式部の「源氏物語」ゆかりの野宮(ののみや)神社から紅葉の名所の常寂光寺、去来の「嵯峨日記」で知られる落柿舎から、嵯峨天皇の勅命によって創建され、後に荒廃した時には法然上人によって再興された二尊院、そして「平家物語」ゆかりの祇王寺滝口寺から化野念仏寺、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている嵯峨鳥居本、あるいは嵯峨天皇の皇子の一人で、『源氏物語』の主人公光源氏の実在モデルの一人といわれる源融(みなもとのとおる)の山荘があった清凉寺、更にもう少し足をのばして大覚寺直指庵などといった寺院や史跡を巡ることを指します。

その中で竹林の景観は、嵯峨野巡りをより一層味わい深いものにしてくれています。

嵯峨野では多くの歴史的遺産に出会うことができますが、点在する名所をくまなく見て回るには数日は必要となります。嵯峨野の風を受けながらのんびりと歩いてめぐると心の安らぎをおぼえ、心のアルバムの1ページに深く残るのではないでしょうか。また、季節を変えて再び足を運べば嵯峨野の別の顔を見せてくれます。

竹林の道

竹林の道を走る人力車
竹林の道を走る人力車
嵯峨野路を歩いていると、時折り観光客を乗せた人力車が通り過ぎて行きます。
静まりかえった竹林の中で見る人力車には、ひとむかし前のそこはかとない風情が感じられます。

昭和の初期まで、嵯峨野の特色として竹林・植木畑があったそうです。しかし、戦時中の多くの竹林の消滅や戦後の急速な都市化の波を受けて、著しく変貌したといいます。ただそうした中には、嵯峨野への入口、野宮(ののみや)辺りの竹ヤブが切り払われて、これを知った谷崎潤一郎らを激怒させたというようなこともあったようです。現在ではわずかに小倉山山麓の風致地区に嵯峨野の面影が残されているのみです。

風にざわめく竹林と、その中をぬって続く小道は、自然の静けさがしみとおる最も嵯峨野らしい風情が漂います。

かつては広大な地を占めていた竹林も、時代の流れの中でかなり切り開かれてしまいましたが、小倉山の麓や北嵯峨の山懐に抱かれた地域には、まだ奥深い竹林が残っています。この竹林に分け入って嵯峨野の自然にふれるだけでも歴史と詩情あふれる嵯峨野を感じることができます。

イベント「京都・嵐山花灯路」では、竹林の小径(こみち)、渡月橋周辺一帯がライトアップされ、昼間とは違った幻想的な風情を楽しむことができます。

写真集写真集(20枚の写真が表示されます。)
写真 
直指庵(じきしあん)門
直指庵は、大覚寺の北約500mほどの所にあり、境内を含めてその周辺は、美しい孟宗竹(もうそうだけ)の竹林で知られています。北嵯峨のこの辺りから奥嵯峨にかけては、嵯峨の風情を最もよく残している所ともいえます。
堂内に置かれた大学ノート「想い出草」には、参拝者の悩みや迷いなどが切々と書き綴られていることでも知られています。
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【近隣観光マップ】※図の操作については下記をご参照ください。

【図中番号の説明】

図中の右上に表示されている「地図」をクリックして、その下に表示される「航空写真」をクリックし、図を拡大表示する(下記「マップの操作について」参照)とよりはっきりと見ることができます。
  1. ここから嵯峨野路・竹林の道へ
  2. 野宮神社
  3. 天龍寺
  4. 天龍寺北門
  5. 大河内山荘付近から竹林の道を望む
  6. 大河内山荘…俳優大河内伝次郎が昭和6年(1931)から約30年の歳月をかけて造営した山荘
  7. 常寂光寺
  8. 落柿舎
  9. 二尊院
  10. 檀林寺
  11. 祇王寺
  12. 滝口寺
  13. 嵯峨鳥居本」重要伝統的建造物群保存地区
  14. 化野念仏寺
  15. 愛宕神社一の鳥居
  16. 厭離庵…藤原定家、小倉百人一首編纂の庵
  17. 清凉寺(嵯峨釈迦堂)
  18. 大覚寺
  19. 大沢池
  20. 直指庵
  21. 広沢池
  22. 宇多野(※)
  23. 常盤(ときわ)(※)
  24. 太秦(うずまさ)(※)
  25. 双ケ岡(ならびがおか)(※)
  26. 小倉山
  27. 渡月橋
  28. 大堰川(桂川)
※−(マイナスボタン)を1回クリックして下さい。右側に表示されます。

図の操作について

  • 図の上でマウスを任意の方向に動かす(ドラッグする)と表示範囲が変わります。
  • 図の左にある+(プラス)ボタンをクリックする毎に図が拡大され、−(マイナス)ボタンをクリックする毎に図が縮小されます。
  • 図の右上にある[地図]のボタンをクリックすると地図タイプを切り替えることができます。
  • 非表示にした吹き出しを再度表示するには、赤いアイコンをクリックして下さい。
  • 最初の状態に戻すには、キーボードのF5キーを押下してください。

近隣の観光スポット情報

上記の「近隣観光マップ」をご参照ください。

posted by はんなり・ジャーニー at 21:20 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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