宝筐院

庭園
庭園
美しい彩りを見せる本堂前の紅葉。

宝筐院(ほうきょういん)は、平安時代末に白河天皇によって開創された寺院で、楠木正成(くすのきまさしげ)の嫡男である楠木正行(まさつら)、そして室町幕府第二代将軍足利義詮(あしかがよしあきら)の菩提所となっています。

回遊式となっている庭園には、カエデをはじめ多くの四季折々の草木が群生しています。晩秋から初冬にかけて美しい紅葉を見せる時期には、色艶やかな光景が庭園内に繰り広げられます。そして、黄色や紅色に色づいた落ち葉が、庭園に広がる白砂や青苔を覆う様には、観る人の目と心をとらえて離さない美しさと情緒深い趣きが漂います。

略史

庭園
庭園
色鮮やかな光景が飛び込んできます。

白河天皇により開創された当初は善入寺(ぜんにゅうじ)と称され、隆盛を誇っていました。しかしその後、鎌倉時代を経て、南北朝の時代になった頃には衰退していました。

そこへ南北朝時代の臨済宗の高僧である夢窓疎石(むそうそせき)の高弟、黙庵(もくあん)が入寺します。黙庵に帰依していた室町幕府第二代将軍足利義詮(よしあきら)は、師・黙庵を支援して、伽藍を復興させていきます。黙庵は中興開山となり、善入寺にあって門弟の育成に努めました。これ以後、善入寺は臨済宗の寺院となったのでした。

貞治(じょうじ)6年(1367)に義詮が没すると、善入寺はその菩提寺となりました。その後、室町幕府第八代将軍足利義政(よしまさ)の代になって、義詮の院号の宝筐院に因んで現在の寺名に改められています。以後、足利氏歴代の崇敬を得て栄えましたが、応仁の乱(1467〜77年)以後は寺は経済的に次第に困窮し、その後室町幕府の滅亡(1573年)と共に寺も衰微していったといいます。

江戸時代には天龍寺の子院として存続しましたが、幕末には廃寺となってしまいました。しかし、それから半世紀以上経ってから復興されることになります。

楠木正行

本堂に掲げられた画
本堂に掲げられた画
黙庵と楠木正行。
戦を前に、血気にかられるな、とでも説いているのでしょうか。

南北朝の時代にあって、楠木正行(まさつら)の父・正成(まさしげ)は、建武(けんむ)3年(1336)、南朝方の新田(にった)・楠木軍と北朝方の足利軍とが衝突した湊川(みなとがわ)の戦いで南朝のために戦って、敗死しました。

「大楠公」と尊称された父の正成に対して、正成の長子であった正行は「小楠公(しょうなんこう)」と呼ばれ、南朝から期待されていたといいます。

正行が成長して次第に力を蓄えるようになると、正行は亡き父・正成の遺志を継いで、楠木家の棟梁となって南朝方として戦うことになります。そして、摂津国(せっつのくに)南部の天王寺・住吉浜にて足利幕府の山名時氏(やまなときうじ)・細川顕氏(ほそかわあきうじ)連合軍を打ち破り、北朝方の足利軍を脅かすようになります。

北朝方の足利軍は本格的な南朝攻撃を決意し、ついに貞和(じょうわ)4年(1348)1月に足利尊氏の家臣、高師直(こうのもろなお)を大将とする大軍を編成して、北上する楠木軍と四條畷(しじょうなわて)(現在の大阪府四條畷市・大東市)に対峙し、四條畷の戦いとして知られる、南朝(楠木軍)と北朝(足利軍)の戦いの幕が切って落とされます。

正行は、先の住吉浜にて足利軍を打ち破った際に、敗走して溺れる敵兵の足利軍を助け、手当をし衣服を与えて敵陣へ送り帰す、という温情ある対応をしています。四條畷の戦いでは、この事に恩を感じたかつての敵兵が、楠木勢として参戦した者が多かったと伝えられています。

本堂に掲げられた画
本堂に掲げられた画
四條畷合戦の図。
無数の矢が飛んでくるなかでの楠木正行の奮戦ぶりが描かれています。

しかし、楠木軍は足利軍の圧倒的な兵力の前に敗れて、遂に正行は討ち死にします。

生前、正行と交誼(こうぎ)のあった黙庵は、正行の首級を善入寺に手厚く葬りました。

後に黙庵が正行の首級を善入寺の敷地内に葬ったことを黙庵から聞いた義詮は、敵将ながらもかねてよりその人柄を褒め称え、敬慕していた正行の傍らに自分を葬るように頼んだといいます。

現在、宝筐院の西南の一画に、石の柵に囲まれて、二基の石塔が立っています。

伽藍復興

幕末から半世紀以上経ったころ、楠木正行(まさつら)ゆかりの遺跡を護るために、正行の菩提を弔う寺として宝筐院の復興が行われることになります。工事は大正6年(1917)に完工しました。本尊には木造十一面千手観世音菩薩立像を迎え、ここに宝筐院の復興がかない、今日に至っています。

写真集写真集(26枚の写真が表示されます。)
写真 
山門
門の前からは想像もできない美しい紅葉の光景が門の奥に広がっています。
≪関連情報≫
項目 内容
所在地 京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9
山号 善入山
宗派 臨済宗単立
本尊 十一面千手観世音菩薩
創建年 平安朝期末
開創 白河天皇
文化財
重要文化財
足利義詮画像

【近隣観光マップ】※図の操作については下記をご参照ください。

【マップ掲載番号の説明】

図中の右上に表示されている「地図」をクリックして、その下に表示される「航空写真」をクリックし、図を拡大表示する(下記「マップの操作について」参照)とよりはっきりと見ることができます。
  1. 宝筐院
  2. 書院
  3. 本堂
  4. 楠木正行・足利義詮墓所
  5. 清凉寺
  6. 厭離庵
  7. 二尊院
  8. 落柿舎
  9. 常寂光寺
  10. 南方面→渡月橋
  11. 東方面→大覚寺広沢池
  12. 西方面→祇王寺滝口寺
  13. 北方面→嵯峨鳥居本化野念仏寺

図の操作について

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近隣の観光スポット情報

上記の【近隣観光マップ】をご参照ください。

posted by はんなり・ジャーニー at 23:47 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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