晴明神社

一の鳥居
一の鳥居
堀川通沿いにあるこの一の鳥居をくぐって真っすぐに進むと本殿です。

晴明神社(せいめいじんじゃ)は、陰陽師安倍晴明(おんみょうじあべのせいめい)を祭神として、その死から2年後の寛弘(かんこう)4年(1007)、一条天皇の勅旨(ちょくし)により創建されました。

ただその創祀の背景については、安倍晴明の遺業に対する崇敬はもとより、安倍晴明が稲荷大神(いなりだいじん)又は文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の生まれ変わりと信じられていたことから、祟りを恐れてその霊を鎮めるために創建されたものと伝えられます。

創建以来広い社域を誇っていた晴明神社も、室町時代中期の応仁の乱(1467〜77年)をはじめとした度々の戦火、兵乱で荒廃し、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が入京して、内裏(だいり)を中心に都の条坊を細く整備したことで、社地も縮小されたといいます。その後、明治以降になってから本格的な整備が行なわれ、今日に至っています。

朝廷の信任

安倍晴明は、平安時代中期、朱雀(すざく)・村上・冷泉(れいぜい)・円融・花山(かざん)・一条の6代の天皇に仕えています。

天徳(てんとく)4年(960)、当時天文得業生(陰陽寮に所属しその天文博士(教官)から天文道を学ぶ学生の職)であった安倍晴明は村上天皇に占いを命ぜられるなどして、占いの才能は既に貴族社会でも認められていたようです。その後、天文博士に任ぜられます。

花山天皇の頃にはその信頼を受けて、安倍晴明がしばしば占いや陰陽道の儀式を行ったと伝えられ、また星座の急変をみて花山(かざん)天皇の退位を予知したともいわれています。

花山天皇の退位後は、一条天皇や藤原道長(ふじわらのみちなが)の信頼を集めるようになります。藤原道長は、第66代一条天皇に長女の彰子(しょうし)を入内(じゅだい)(婚姻)させ皇后(号は中宮)となし、次の三条天皇には次女の妍子(けんし)を入れて中宮となし、続く後一条天皇には三女の威子(いし)を入れて中宮となし、以って一つの家から3人の皇后を誕生させたことから「一家三后(いっかさんごう)」と驚嘆されました。そして、藤原道長が詠んだ

この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば

(この世は私(道長)のためにあるようなものだ。今宵の望月(満月)のように何も足りないものはない。)

という即興の歌は今日でも広く知られ、当時、藤原氏の頂点に立ってその絶頂期を築いていた実力者といえます。

顕彰板
顕彰板
占いによって地中に埋めてある呪いのものを察知し、藤原道長を護る晴明。
境内には、安倍晴明にまつわる数多い話の中から10の話を紹介した10枚の顕彰板が掲げられています。

陰陽師として

安倍晴明が活躍していた当時は、紫式部(むらさきしきぶ)や清少納言(せいしょうなごん)らを輩出するなど平安文化も爛熟し、雅の世を謳歌していた頃とはいえ、一方では、御霊信仰が勃興していた時期にも重なっていました。人々は怨霊の祟りに悩まされ、朝廷をはじめ摂関家の人々も鎮霊の業に腐心する日々であったといいます。

例えば、都の中央の要職から、無実の罪をきせられて突如として太宰権帥(だざいのごんのそち)として左遷され、当地の大宰府で世を去った菅原道真(すがわらのみちざね)の怨霊に対する恐れが年々強まっていた頃でもあります。そのため、安倍晴明が仕えていた一条天皇の時には、菅原道真の死から80年以上が経っていたとはいうものの、その霊を鎮める一環として、当時既に菅原道真を祀ってあった社(やしろ)(現在の北野天満宮)が初めて官幣(かんぺい)に預って祭祀が行なわれています。

これには安倍晴明も一役かっていたかもしれません。

このような時代背景の中で、呪詛(じゅそ)封じのため陰陽師安倍晴明の活躍の場は多かったとみられ、晴明神社では、都での多くの災厄を祓(はら)っては平安の都の人々の不安を鎮め、また全国各地を行脚(あんぎゃ)しては各地の衆庶の心の安寧を祈願してまわったといいます。

昨今では小説をはじめ、マンガ、刊行物、テレビドラマ、映画といった各種メディアにも取り上げられ、人々のあいだに晴明ブームが巻き起こったのは記憶に新しいところです。

晴明神社の100メートル程南にある一条通で、南北に走る堀川通を渡った所には、安倍晴明とも縁(ゆかり)があり、数々の伝説を伝える戻橋(もどりばし)があります。

写真集写真集(12枚の写真が表示されます。)
写真 
社紋
晴明神社の社紋は、五芒星(ごぼうせい)(ペンタグラム)で、世に晴明桔梗紋(せいめいききょうもん)といわれる星印の形をした特殊な紋であって、陰陽道では魔除けの呪符とされているものです。この紋は、境内に掲げられた提灯や瓦など、随所に見られます。
≪関連情報≫
項目 内容
所在地 京都市上京区堀川通一条上ル806
祭神 安倍晴明御霊神
創建年 寛弘4年(1007)
主な祭事 晴明祭(秋分の日)ほか

【境内概観図&近隣観光マップ】※図の操作については下記をご参照ください。

【図中番号の説明】

図中の右上に表示されている「地図」をクリックして、その下に表示される「航空写真」をクリックし、図を拡大表示する(下記「マップの操作について」参照)とよりはっきりと見ることができます。
  1. 一の鳥居
  2. 晴明井
  3. 『千利休居士(こじ)聚楽屋敷趾』の石碑
  4. 本殿
  5. 堀川通
  6. 戻橋(※1)
  7. 一条通(※1)
  8. 二条城(※2)
  9. 京都御苑(※2)
  10. 京都御所(※2)
  11. 大徳寺(※2)
  12. 北野天満宮(※2)
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図の操作について

  • 図の上でマウスを任意の方向に動かす(ドラッグする)と表示範囲が変わります。
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  • 最初の状態に戻すには、キーボードのF5キーを押下してください。

近隣の観光スポット情報

上記【境内概観図&近隣観光マップ】をご参照ください。

posted by はんなり・ジャーニー at 23:34 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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