恋塚寺

山門
山門
千本通に面して茅葺きの瀟洒(しょうしゃ)な門が立っています。

『毛嬙(もうしょう)西施(せいし)が再誕(さいたん)歟(か)、観音(かんのん)勢至(せいし)の垂跡(すいしやく)歟(※)』(『源平盛衰記』)と形容されるほどに可愛らしく美しい上に情け深かったとされる袈裟御前(けさごぜん)。

洛南・下鳥羽に伝わる恋塚寺(こいづかでら)は、その美貌の持ち主であったが故に、身代わりとなって遠藤武者盛遠(えんどうむしゃもりとお)(後の文覚(もんがく))の手によって非業の死を遂げた袈裟御前ゆかりの寺として受け継がれています。

(※)
「中国古代の美人毛嬙あるいは西施の生まれ変わりか、はたまた慈悲を司る菩薩である観音あるいは智慧を象徴する菩薩である勢至が人の姿をとって現れたのか」の意。

盛遠のこと

平安時代も末頃のこと。

盛遠は、幼少の頃よりいわゆるガキ大将といったような存在であったようです。面の皮は厚く、威圧的で、大人たちの言うことはもちろんのこと親の言うことにさえ耳を貸さず、近所の子供たちを集め従えては野山を駆け回り、田畑を荒らすなどの目に余るような乱暴を繰り返していたといいます。周りの大人たちでさえ皆「もはやなす術がない」と持て余していたほどの子供でした。

そんな盛遠も十三歳になった時、元服(げんぷく。男子の成人式。)を迎えることになります。盛遠の元服に立ちあったのが遠藤三郎滝口遠光(たきぐちとおみつ)という人でした。そこで、実父の盛光の「盛」と、遠光の「遠」の一字をそれぞれもらって「盛遠(もりとお)」と名付けられました。盛遠は、遠藤武者盛遠として父盛光の跡を継いで、上西門院(じょうさいもんいん。鳥羽(とば)天皇の第2皇女。)の北面に出仕することになったのでした。

恋の病

盛遠、17歳の時、橋供養が催された際、盛遠はその行事の警備を指揮する任に当たっていました。行事も無事に終わり、参加した人々が帰っていた中で、年は16ばかりと思われる美しい女性を盛遠は目にします。これを機に盛遠はその女性に一目惚れして、恋の病にかかってしまうことになります。

そのような中、盛遠はその女性が実は自分のおばの娘であることを知ります。おばはかつて奥州衣川(岩手県の衣川(ころもがわ))に住んでいたことから、京に戻って故郷に住むようになってからは「衣川殿(どの)」と呼ばれていました。

また、一人いた娘の名は「あとま」といいました。娘の「あとま」は、衣川殿の子であることから、「袈裟」という異名があったといいます。(この名は、衣帯の基本である法衣(ほうえ)(いわゆる衣(ころも))と袈裟(けさ)との関係をもじって付けられたものと思われます。)

そして、袈裟は既に渡辺左衛門尉源渡(わたなべさえもんのじょうみなもとのわたる)という武者の妻となっていました。

それでも盛遠は恋の病から抜け出せず、思い詰めます。挙句の果てに、盛遠は、おばが袈裟を自分の妻にしなかったことに言いがかりをつけ、おばを殺して自分も死のうとします。

おばは何とか宥(なだ)めようと思案をめぐらし、娘に今夜逢わせる約束をしてしまったのでした。しかし約束はしたものの、もし盛遠と袈裟を会わせれば夫・渡の怨みを受け、かといって約束を破れば本当に盛遠はおばである自分を殺すであろう、と思い悩みます。

思い悩んだ末に、おばは娘・袈裟のもとに仮病を使って、ちょっと来てもらえないだろうか、それに相談したいこともあるので、という手紙を出しました。その手紙には「返々(かえすがえす)も人に見られないように一人で来てください」と書き添えてありました。

手紙を受け取った袈裟は何事かと胸が騒いで、普段通りにちょっと出かけるようにして母のもとへ出向きます。やって来た袈裟を前に、母は涙を流しながらいきさつを話し、小刀を取り出して、「武者の手にかかるよりは、この小刀で私を殺しておくれ」とさめざめと泣くのでした。

袈裟も突然のこの無理難題には驚きますが、年老いた母の命には代えられず、かといって夫・渡のことを想えば胸張り裂けんばかりの思いのなか、袈裟は盛遠と逢うことを承諾したのでした。

その夜、約束どおりにやって来た盛遠に対して覚悟を決めた袈裟は、次のような計略を提案します。

誠(まことに)浅からず思召(おぼしめす)事ならば、只思切て左衛門尉(さゑもんのじよう。袈裟の夫・渡。)を殺し給へ、互に心安(こころやす)からん、去(さら)ば謀(はかりごと)を構(かまえ)んと云(いう)。盛遠悦ぶ色限(かぎり)なし。謀はいかにと問へば、女(袈裟)が云、我家に帰(かえり)て、左衛門尉が髪を洗はせ、酒に酔(よわ)せて内に入れ、高殿に伏(ふし)たらんに、ぬれたる髪を捜(さぐり)て殺し給へ

(『源平盛衰記〜津巻第十九〜』)

袈裟は、本当に私(袈裟)のことを想っているのであれば、夫の渡を討ってください、と盛遠に言います。

そしてその方法はというと、私(袈裟)は家に帰ったら夫の左衛門尉に髪を洗わせ、酒に酔わせてから床に就かせておくので、暗闇の中、濡れた髪を探して亡き者にしてください、というのです。

盛遠は大いに喜び、翌日、夜討ちの支度をして日の暮れるのを待ちます。

一方、袈裟は夫の渡に対して、「昨日母が病気となりましたが、大騒ぎするほどでもないので密かに来ておくれということだったので母のもとへ行き様子をみてきました。今朝方には治ったようなので祝宴をもうけましょう」と言って、夫の渡と二人だけの酒盛を開きます。袈裟はいつもより多くの酒を夫に勧めます。そして、酔いつぶれた夫を張台(とばりを下げた台)の奥に寝かせると、自分の髪を濡らして男のように頭上で束ねて、烏帽子(えぼうし)を枕元に置き、辞世の句を残しました。

それから袈裟は燭台の火を吹き消し、床に入りました。袈裟は、運命の時がやって来るのを、今か今かと激しく乱れ打つ胸の鼓動を静めながら待ちました。

そこへかねてからの計略どおりに盛遠が密かに忍び込んできて、濡れた髪を探り当て、一刀のもとに斬り下ろし、首を刎ねたのでした。

盛遠は首を持ち帰ります。

盛遠出家

盛遠は持ち帰った首を一目見るなり愕然として倒れ伏し、なんという馬鹿なことをしたものかと悔い、また世の無常を観じ、声を上げて泣き叫びました。

袈裟御前は、母への孝行と夫への貞操を守るために、盛遠に夫を殺させるように仕向け、実は身代わりとなって自らが犠牲になることを選んだのでした。

その後、盛遠は自分の犯した罪を悔いて出家します。また、袈裟の母も夫の渡も出家しました。

盛遠は、在俗の時の名の「盛」をとって「盛(じょう)阿弥陀仏」と名乗るようになりました。盛阿弥陀仏は、袈裟御前を弔うために一宇を建てて懇(ねんご)ろに弔います。これが恋塚寺とされています。境内には、盛阿弥陀仏が袈裟御前の首を供養したと伝える塚、「恋塚」があります。

それからというもの、盛阿弥陀仏は、日本国中を回る修業の旅に出ます。盛阿弥陀仏は求道心強く、学問も怠らず、その甲斐あって聡明な僧となっていきます。そして名を文覚(もんがく)と改めたのでした。

ところで、文覚は、後に、神護寺の復興に尽力したことでも知られています。ところが、復興が思うに任せぬことから後白河天皇に強訴したことにより、流罪となって伊豆へ流されます。これがもとで、永暦(えいりゃく)元年(1160)3月より伊豆へ配流の身となっていた源頼朝(みなもとのよりとも)と知り合うこととなりました。二人は日を重ねて交流していくうちに気の許せる仲となり、文覚は頼朝に大器の片鱗があることを見抜きます。そして、平家が皇室を軽(かろ)んじ勝手気ままにすることをかねてより憤っていた文覚は、頼朝に平氏を討ち滅ぼすように促したのでした。

それから20年後の治承(じしょう)4年(1180)8月、頼朝は伊豆で挙兵し、その後ついに平氏を討滅し、鎌倉に幕府を開いたことは知られています。

蛇足ながら、高山寺の中興の祖、明恵(みょうえ)は文覚の孫弟子になります。

なお、上鳥羽にある浄禅寺(じょうぜんじ)(通称、鳥羽地蔵)(京都市南区上鳥羽岩ノ本町93)にも同様の伝承があります。

写真集写真集(8枚の写真が表示されます。)
写真 
山門より本堂を望む
参道沿い左手に見える石碑は恋塚寺碑(こいづかでらのひ)(写真左)です。
≪関連情報≫
項目 内容
所在地 京都市伏見区下鳥羽城ノ越町132
山号 利剣山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
建立年 嘉応2年(1170)
開基 文覚

【境内概観図】※図の操作については下記をご参照ください。

【マップ掲載番号の説明】

図中の右上に表示されている「地図」をクリックして、その下に表示される「航空写真」をクリックし、図を拡大表示する(下記「マップの操作について」参照)とよりはっきりと見ることができます。
  1. 山門
  2. 恋塚寺碑
  3. 本堂
  4. 恋塚
  5. 六字名号石
  6. 千本通
  7. 国道1号(※1)
  8. 鴨川(※2)
  9. 鳥羽殿跡(※4)
  10. 鳥羽離宮跡公園(※5)
  11. 城南宮(※5)
  12. 浄禅寺(※7)
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図の操作について

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近隣の観光スポット情報

上記の【境内概観図】をご参照ください。

posted by はんなり・ジャーニー at 16:47 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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