三船祭

扇流し
扇流し
清少納言(せいしょうなごん)に扮した女性が船上より扇を流します。これはかつての平安貴族の船遊びが再現されたひとコマで、優雅さ漂う光景が印象的です。
この扇流しは、室町幕府を開いた足利(あしかが)将軍が天龍寺(開基は足利尊氏(たかうじ))参拝の際、大堰川で除災を祈願して流扇したという故事にならったものといい、芸能上達や健康であることを祈願して流されます。

新緑したたるばかりの渡月橋上流の大堰川(おおいがわ)(桂川)、嵐峡(らんきょう)と称される絶景の場所にて再現される優雅で情緒のある平安の王朝絵巻、三船祭(みふねまつり)。

末社として芸能の女神を祭神とする芸能神社があることでも知られる車折神社(くるまざきじんじゃ)の神事(5月第3日曜日開催)で、大堰川の両岸から多くの観光客が見守る中、川面を祭場として雅やかな管弦や舞などが披露されます。

創始

昭和3年(1928)11月10日、京都御所において昭和天皇の即位礼が挙行されることになります。これを受けて全国各地で様々な祝賀行事などが執り行われる中、車折神社では、この御大典を機に、祭神清原頼業(きよはらのよりなり)の神慮を慰めるべく、頼業在世中の船遊びを例祭(5月14日)の延長神事(近年は5月の第3日曜日)として再現することになったのが始まりとされています。

清原頼業は、平安時代後期の著名な漢学者・儒学者として知られる人です。

大堰川での船遊びは、平安時代の中頃にさしかかろうとする昌泰(しょうたい)元年(898)長月(ながつき。陰暦九月。)の21日に宇多(うだ)上皇が催したのが始まりとされています。その後も、頼業在世中の平安時代後期にも船遊びは度々催されていたようです。

名の由来

ところで、車折神社では当初、例祭(5月14日)の延長神事のことを「舟遊祭(しゅうゆうさい)」と呼んでいました。文字通り、舟遊びの祭りということからなのでしょうが、これが「三船祭」という名称に変わります。

「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」という即興の歌で知られる平安時代中期の公卿、藤原道長(ふじわらのみちなが)が大堰川に漢詩の舟、和歌の舟、管絃の舟を出してこの三舟を浮かべ、その得意とするところによって諸臣に乗船してもらいます。そのとき、そのいずれにも優れた才能を示し、道長全盛時の歌壇を代表して指導者の位置を占めていた藤原公任(ふじわらのきんとう)はどの舟に乗るのだろうかと、藤原道長をして言わしめるほどの才があったという「三舟(さんしゅう)の才」の逸話が伝わります。

そしてまた、後の平安時代後期の公家・歌人、源経信(みなもとのつねのぶ)もまた藤原公任と並んで三舟の才と称されていますが、当時は漢詩、和歌、管弦に堪能なことが公卿や文化人のたしなみでした。

そして代々の天皇の大堰川行幸の際には、漢詩、和歌、管弦の三舟を浮かべて、諸臣の得意とするところに従ってそれぞれの舟に乗せたといいます。

三舟の才は「三船(さんせん)の才」とも称されますが、「三船祭」の名称はこの故事によるものです。

平安貴族の船遊びの再現とはいえ、「才」への崇敬の念を慮って付けられた名のように思われます。

再出発

昭和3年(1928)の創始から戦時中などを除き、毎年5月に開催されてきた三船祭でしたが、未だに記憶に新しい2013年9月の台風18号による豪雨により、大堰川(桂川)上流より多量の濁流が流れ込み、渡月橋を中心とした嵐山一帯が浸水してしまうという事態が発生(関連記事「台風18号が嵐山に残したもの」参照)します。あわや渡月橋も流されてしまうのではないかと思われるほどの多量で、勢いを持った流れでした。

これによって渡月橋北詰のほとりに立つ車折神社の御旅所「頓宮(とんぐう)」が浸水被害を受けてしまいます。加えて、他の社殿の修復工事と重なったこともあり、これらの修復経費を工面できない状況に陥ります。そのため車折神社としては2014年の中止を余儀なくされたのでした。

そこでこの中止を知った地元有志が2014年2月、3ヶ月後に迫る三船祭開催の協力を申し出ましたが、時すでに遅し、間に合わせることができませんでした。

その後も祭りの復活を望む地域住民らの強い声は続き、地元の商店や観光関係者が今年2015年の2月、住民らによる「京都嵐山三船祭保存会」を設立し寄付金を募るなどして、2013年5月に開催して以来2年ぶりとなる今年の開催に目途が立ったといいます。

ところで、2015年の三船祭の復活にあたっては見直されたことがありました。祭を見る側にとって特筆されるのは主に次の3点です。

一つ。

清少納言(せいしょうなごん)(1025年頃没)が車折神社の祭神清原頼業(1122年生誕)の一族であることもあり、車折神社の境内に清少納言社があります。そこで復活に合わせた趣向として、より多くの人に祭りを楽しんでもらおうと、新たに清少納言役が設けられました。清少納言役の女性には地元から公募されています。

二つ。

車折神社から大堰川畔の船着き場まで約1キロメートルにわたって行われていた「神幸(しんこう)行列」が交通渋滞や歩行者の混雑などを招いていたことを受けて見直され、規模が縮小されています。その結果、新たに清少納言役が設けられたことを受け、中之島公園より渡月橋を渡って船着き場へと向かう「清少納言道中」が取り入れられています。

三つ。

かつては大堰川に浮かぶ船が20隻以上と増え過ぎ、嵐山の景観などを阻害していたという反省から、「清少納言」に扮した女性による扇流しの奉納を行う御座船(ござぶね)、雅楽・舞楽の奉納を行う龍頭船(りゅうとうせん)、今様の奉納を行う鷁首船(げきすせん)、御座船の随侍船である御伴船(4隻。内1隻は献酒船。)から成る7隻に船数が縮減されています。

こうして、2015年、平安貴族の船遊びを優雅に再現した三船祭が規模を縮小したとはいえ、華やかさを増して再出発しています。

写真集写真集(24枚の写真が表示されます。)
写真 
船着き場
準備はすっかり整っています。太鼓の後ろには野点(のだて)の席が設けられています。

【近隣マップ】※図の操作については下記をご参照ください。

【マップ掲載番号の説明】

図中の右上に表示されている「地図」をクリックして、その下に表示される「航空写真」をクリックし、図を拡大表示する(下記「マップの操作について」参照)とよりはっきりと見ることができます。
  1. 渡月橋
  2. 車折神社御旅所
  3. 大堰川(桂川)
  4. 船着き場
  5. 天龍寺
  6. 宝厳院
  7. 嵐山公園亀山地区
  8. 嵐山公園中之島地区
  9. 法輪寺
  10. 嵐山
※1.−(マイナスボタン)を3回クリックすると表示されます。

図の操作について

  • 図の上でマウスを任意の方向に動かす(ドラッグする)と表示範囲が変わります。
  • 図の左にある+(プラス)ボタンをクリックする毎に図が拡大され、−(マイナス)ボタンをクリックする毎に図が縮小されます。
  • 図の右上にある[地図]のボタンをクリックすると地図タイプを切り替えることができます。
  • 非表示にした吹き出しを再度表示するには、赤いアイコンをクリックして下さい。
  • 最初の状態に戻すには、キーボードのF5キーを押下してください。

近隣の観光スポット情報

上記の【近隣マップ】をご参照ください。

posted by はんなり・ジャーニー at 10:30 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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