
小堀遠州作の庭園より開山堂を望む-高台寺-
大坂から京都へ
天正13年(1585)7月に豊臣秀吉が関白に任官したことに伴い、その正室ねねは北政所(きたのまんどころ)と呼ばれるようになります。そして慶長3年(1598)8月、秀吉が伏見城で没すると、翌年北政所は大坂城を出て、京都に移ります。
高台寺建立
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鐘楼-高台寺-
それから4年後の慶長8年(1603)、北政所は養母・浅野七曲(ななまがり)の死を知ります。七曲は北政所の母・朝日の妹で、北政所にとっては叔母にあたります。その昔、母・朝日はねねの結婚相手には武将をと考えていましたが、当のねねが選んだのは当時足軽で風采も上がらなかった秀吉でした。母・朝日の反対でねねと秀吉は困り果ててしまいます。その二人を救ったのが織田信長の臣下である浅野長勝とその妻・七曲でした。浅野夫妻は、ねねを養女に迎え、ねねと秀吉が夫婦になることを手助けしてくれた人でした。そんな七曲の死に際し、北政所は養父母の菩提寺となり、加えて京都寺町にある母・朝日の菩提寺である康徳寺(こうとくじ)も吸収し、いずれは自分の墓所ともなる寺院の建立を夫・秀吉の眠る京都東山の阿弥陀ヶ峰(現在の豊国廟)に近い地に求めました。徳川家康の支援も得て、現在の地に寺を建立し、後陽成天皇(ごようぜいてんのう)より賜った「高台院」から寺名を高台寺とし、慶長11年(1606)、京都東山に弓箴善疆(きゅうしんぜんきょう)を開山に曹洞宗寺院の禅寺として高台寺を建立しました。(その後高台寺は寛永元年(1624)から臨済宗建仁寺派に転宗転派し、今日に至っています。)
徳川家康の支援
遺芳庵-高台寺-
高台寺の建立に際しては、徳川家康が財を惜しまず協力したとされています。また人的面では、京都所司代板倉勝重(いたくらかつしげ)を普請奉行に、堀監物直政(ほりけんもつなおまさ)を普請掛、酒井忠世(さかいただよ)、土井利勝(どいとしかつ)を高台寺造営御用掛に任じ、加藤清正(かとうきよまさ)は山門を移築し、他にも福島正則(ふくしままさのり)、浅野長政(あさのながまさ)といった当時の錚々たる人たちが建立に携わりました。
今に残る
時雨亭-高台寺-
約10万坪に及ぶ境内には、方丈や書院等が建てられ、伏見城からは「開山堂」、「霊屋(おたまや)」、それに「傘亭(かさてい)」、「時雨亭(しぐれてい)」といった茶亭も移築されました。開山堂とその東側にある臥龍池(がりょうち)並びに西側にある偃月池(えんげつち)を中心として構成される庭園は小堀遠州の作と伝えられています。
高台寺は江戸時代から明治時代にかけて再三火災に遭い。創建以来今日まで残っている建物は、慶長10年(1605)建立の「開山堂」、「霊屋」、桃山時代の茶亭「傘亭」と「時雨亭」、伏見城の遺構である「表門」と「観月台」とされています(いずれも重要文化財)。
圓徳院
高台寺の西側に、現在では「ねねの道」と呼ばれる小道を挟んで「圓徳院」という高台寺の塔頭(たっちゅう)があります。これは伏見城から化粧御殿と前庭が移築されてきて北政所の居所として使われたところで、寛永元年(1624)に77歳で亡くなるまでの17年間をここで過ごし、高台寺の霊屋に葬られています。
臥龍池-高台寺-
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 正式名 | 鷲峰山高台寿聖禅寺 |
| 別称 | 蒔絵の寺 |
| 所在地 | 京都市東山区高台寺下河原町526 |
| 山号 | 鷲峰山(じゅぶざん) |
| 宗派 | 臨済宗建仁寺派 |
| 本尊 | 釈迦如来 |
| 創建年 | 慶長11年(1606) |
| 開基 | 高台院 |
| 開山 | 弓箴善疆(きゅうしんぜんきょう) |
| 文化財 |
|
【境内概観図】※図の操作については下記をご参照ください。
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近隣の観光スポット情報
ねねの道(上記図中番号15)の通り沿いには、CMで全国的にも知られるようになった石塀小路(いしべこうじ)への入口があります。
このねねの道の通りに沿って北(上記写真の奥の方向)へ歩くと円山公園・八坂神社・知恩院方面に行くことが出来ます。一方南へ歩き、最初の角を東の方へ曲がり坂を上がって歩くと坂本龍馬の墓へ、曲がらずにそのまま南へ直進して行くと二寧坂(二年坂)・産寧坂(三年坂)そして清水寺の方へと続きます。


