
本堂の宸殿から有清園庭園を通して見た往生極楽院
三千院縁起
客殿から眺めた聚碧園
延暦7年(788)、最澄が比叡山延暦寺を開いた時に、東塔南谷(とうどうみなみだに。比叡山内の地区名。)に自作の薬師如来像を本尊とする「円融房」を開創したのがその起源とされています。貞観2年(860)清和天皇の勅願により承雲和尚が比叡山の山麓の東坂本(現・滋賀県大津市坂本)に円融房の里坊(※1)を設けました。この里坊を円徳院と称しました。そしてここに加持(かじ。密教の修法。)に用いる井戸(加持井)があったことから、「梶井宮」とも称されるようになったといいます。
門跡寺院へ
門跡寺院に相応しく城郭を思わせる高い石垣
元永元年(1118)堀川天皇の皇子の最雲法親王(さいうんほっしんのう。兄は後の鳥羽天皇。)が梶井宮に入寺したのを皮切りに、以後歴代の住持として皇室や摂関家の子弟が入寺するようになったことから門跡(もんぜき)寺院(※2)となり、「梶井門跡」とも呼ばれるようになりました。これについで青蓮院(しょうれんいん)門跡が、おくれて妙法院(みょうほういん)門跡が出現し、あわせて天台三門跡として格式を誇ることになりました。
※1…里坊は山寺の僧などが人里に設ける僧房、住まい。
※2…門跡寺院とは、平安末期から鎌倉前期にかけて登場する、皇族出身者などいわゆる貴種(きしゅ。貴い家柄の生まれの人。)が入室・住持したことで別格扱いされるようになった寺院のことを言います。
大原の政所設置と梶井門跡の移転
秋の深まりゆく三千院境内
保元元年(1156)、延暦寺は京都の大原に住みついて秩序を乱す念仏行者を取り締まり、大原にそれ以前からあった来迎院、勝林院、往生極楽院(現在の三千院境内に配置されている阿弥陀堂)などの寺院を管理するため、現在の三千院のある地に梶井門跡の政所(まんどころ)(以下、大原の政所という)を設置しました。
一方、坂本の梶井門跡の寺域は、貞永元年(1232)の火災を機に今の京都市内の各地を転々としました。しかし落ち着いた先も、京の町を焼け野原にした応仁の乱(室町時代。1467〜1477)によって焼失し、大原の政所に移転することになりました。
そして元禄11年(1698)江戸幕府の第5代将軍徳川綱吉によって京都御苑と鴨川の間にある公家町の一角(現在の上京区梶井町で、跡地には京都府立医科大学と附属病院が建っている)に寺地が与えられたことにより、梶井門跡はここに移ることになりました。
明治4年(1871)になると、大原の政所が梶井門跡の本殿と定められて、「三千院」と改称されました。「三千院」は梶井門跡の仏堂の名称「一念三千院」から取られたものです。そして三千院とは別の寺院であった往生極楽院は、三千院の境内に取り込まれ、現在に至っています。
このように三千院が大原にあって、「三千院」あるいは「三千院門跡」と号するようになったのは、明治4年(1871)以降からで、それまでは「梶井宮」、「梶井門跡」、「梶井御所」などと呼ばれ、「梨本門跡」、「円徳院」などの別称もありました。
ろれつ(呂律)が回り過ぎて
三千院の北側には律川(りつせん)、南側には呂川(りょせん)という2つの川が流れています。この2つの川はともに三千院の南を通っている坂道を東へ15分ほど登った所にある「音無の滝」を源流としています。
呂川と律川は、声明(しょうみょう、仏教声楽)音律にちなんで名づけられた川で、「ろれつ(呂律)が回らない」という例えの語源は、呂と律の音律がうまく発声できないというところから生まれたといわれています。
また「音無の滝」は、その名のように落ちる水音を聞かないといわれ、 『大原に荘重な融通念仏を創始し、天台声明を大成した良忍(1073〜1132。平安時代後期の天台宗の僧)は、誠に素晴らしい声の持ち主であった。良忍の念仏の声には、梢の鳥も羽根を休め、川底の魚も鱗(うろこ)を止めて聞き入り、そればかりか滝も音を止めたとも、良忍が声明と滝水と相乱れるのを避け、法力で水音を止めてしまったとも。』 といった伝説を残しています。
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律川に架かる未明橋
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 三千院 |
| 所在地 | 京都市左京区大原来迎院町540 |
| 山号 | 魚山(ぎょざん) |
| 宗派 | 天台宗 |
| 本尊 | 薬師如来 |
| 創建年 | 延暦年間(782〜806) |
| 開基 | 最澄 |
| 文化財 |
|
【境内概観図】
【マップ掲載番号の説明】
- 山門(御殿門)
- 客殿
- 聚碧園(しゅうへきえん)
- 宸殿
- 有清園(ゆうせいえん)
- 往生極楽院
- 朱雀門
- 紫陽花園(あじさいえん)
- 金色不動堂
- 観音堂
- 律川
- 呂川
近隣の観光スポット情報
山門前の通りを北へ歩いて行くと、1186年(文治2年)に顕真と法然との宗論(いわゆる大原問答)が行われた寺として知られる勝林院、その塔頭で庭園の見事な美しさで知られる実光院、宝泉院などがあります。
実光院の前を通って宝泉院へ行く途中の、勝林院の正面あたりの曲がり角の所には「法然上人腰掛けの石」があります。


