
本堂-真如堂-
紅葉の頃になると真如堂の境内は紅く染まり、訪れる人を自然の造り出す美しさで迎えてくれます。紅葉に染まった境内を見て回っているとあちこちで感嘆の声が思わずもれでてきます。真如堂は隠れた紅葉の名所として取り上げられ、知られるようになってきました。
神々のならす鈴の音
鐘楼-真如堂-
梵鐘は戦時中の昭和17年(1942)12月に武器製造のために差し出すことを余儀なくされましたが、潰される前に終戦となり、戻ってきました。
山号を鈴聲山(れいしょうざん)と称し、正式な寺号は真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)といいます。比叡山延暦寺を本山とする天台宗のお寺です。鈴聲山の名称は、この辺り一帯が小山となっていて、神代の昔には八百万(やおよろず)の神々が神楽を舞われた聖地で、鈴の音が響き渡っていたところからきています。真正極楽寺とは「これぞまことの極楽寺である」という意味で、真如堂は通称です。真如堂という呼び名は、元は本堂のことを指して使われていたとされています。
「真如」とは、普遍的な真理をいい、そこには不変と随縁の両面があるとされます。真如堂の名称は、この随縁の面を中心としてつけられたものです。
本尊は慈覚大師の作になる木造阿弥陀如来立像で、長野の善光寺如来、嵯峨清涼寺の如来と共に日本三如来の一つとして尊崇されています。
本尊縁起
元三大師堂前にある立札-真如堂-
霊木の出現
比叡山に、慈覚大師(じかくだいし。第三代天台座主(てんだいざす。天台宗の最高の位)。円仁。最澄に師事し、最澄から愛され信任が厚かった。浄土宗の開祖法然は、私淑する円仁の衣をまといながら亡くなったと伝えられる。)が自ら法華経を書写した如法経を安置した如法堂がありました。
ある日、苗鹿(のうか)明神が現れ、如法堂の番神に加わりたいのだが、ついては柏木の柱1本を結縁に寄進しよう、とのお告げがあり、その柏木が門前に横たえられていました。柏木は毎夜光を放つため、不審に思った慈覚大師はその柏木を真っ二つに割ってみました。すると割れた面の一方には座像が、片方には立像の仏の姿が現れました。
慈覚大師は座像が現れた方の霊木を使って阿弥陀仏座像を造り、自房に安置しました。立像が現れた方の霊木は思うところあって、そのままにしておきました。
中国の唐へ求法の旅
その後、慈覚大師は入唐求法の旅に出ることになり、承和5年(838)6月に京を発ち、遣唐使藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)に随伴して乗船しました。それから9年を超える求法の旅を終えた慈覚大師は、承和14年(847)10月、遣唐使藤原常嗣とともに、唐の都を出帆し帰朝の途につきました。その船上で慈覚大師は、唐での求法の際、普通院の生身文殊(しょうじんもんじゅ)から伝授されたという引声(いんぜい)の1曲を忘れたため、船上から焼香礼拝すると、小さな阿弥陀仏が香煙の中に現れました。慈覚大師は、「我が国においでになり、衆生(しゅじょう)をお救いください。願わくば、この衣にお入りください」と祈り、その小さな阿弥陀仏を着ていた袈裟の中に包んで納めました。
帰国
帰国後再び比叡山の自房で日々を送っていた慈覚大師は、ある日、いつぞやのそのままにしておいた立像が現れた柏木の片木を取り出すと、九品来迎の印を結んだ身の丈三尺三寸(約1m)の阿弥陀如来を刻み、その胎内に、帰国の船上で伝得した、例の阿弥陀の小像を納めました。これが今日に伝わる真如堂の本尊です。
慈覚大師在世中は、この尊像は比叡山常行堂(じょうぎょうどう)に安置されました。
創建縁起
京都府の重要文化財指定。
老僧の出現
時は下り永観2年(984)の春、比叡山延暦寺の僧・戒算上人(かいさんしょうにん)の夢の中に老僧が現れ、「われは(比叡山)常行堂より来た者。京に出て、すべてのものに利益(りやく)をもたらすであろう。わけても、女人を済度するもの也。早く京に下すべし」と告げたといいます。
下山
戒算上人からこの話を聞いた比叡山三塔の衆徒は、集まって合議しました。中には戒算上人の話をそのまま受け取っていいものかと異議を唱える者もありましたが、戒算上人の強い主張が通って、阿弥陀仏を下山させ、雲母坂(きららざか。京都市左京区にあって比叡山に至る古道。)の地蔵堂に安置し、京のしかるべき所は、と思案していました。するとある夜、例の老僧が再び戒算上人の夢の中に現れて「神楽岡(かぐらおか)の辺りに小さな檜1,000本が一夜のうちに生えた場所がある。そここそ仏法有縁(うえん)の地であり、衆生済度の場なり。」と告げたといいます。
発見
夢から覚めた戒算上人が、弟子に頼んで探させてみると、ある女院御所の境内に、まさしく檜の小木が群生している所があったといいます。そこは白河女院(円融天皇の女御(にょうご)で、一条天皇の母。東三条院、藤原詮子(せんし)。)の御所でした。同じ夢をみていた白河女院はその阿弥陀仏を受け入れ、寝殿を飾って安置しました(現在の真如堂境内の東北側)。これが真如堂の始まりです。
移転・再建の歴史
紅葉の深まる真如堂の境内
こうして真如堂創建の宣旨が一条天皇より下り、正暦3年(992)、堂舎が建立され、寺観が成りました。
正暦5年(994)には、阿弥陀如来像を新築なった真如堂に遷御し、本尊となりました。 以後真如堂は、一条天皇の勅願寺となり、浄土宗開祖の法然(ほうねん)や浄土真宗開祖の親鸞(しんらん)をはじめ、多くの念仏行者が参拝し、庶民、特に女性のあつい尊崇を集めました。
しかし応仁の乱以降、真如堂は兵火を避けたり、時の権力者の横暴にあったりして、寺地移転と再建の歴史を歩むことになりました。
真如堂移転・再建の歴史
- 永観2年(984)
- 東三条院離宮内に創建
- 応仁2年(1468)
- 本尊、比叡山青竜寺に動座
- 文明2年(1470)
- 本尊、江州穴太(ごうしゅうあのお。現在の滋賀県大津市穴太)の宝光寺(穴太真如堂)に移座
- 文明10年(1478)
- 本尊、洛中一条町(現在の元真如堂町)に遷座
- 文明16年(1484)
- 神楽岡の旧地へ再建
- 永禄10年(1567)
- (室町勘解由小路の第13代将軍足利義輝邸址へ移ることになるが中止→永禄12年に移転先決定)
- 永禄12年(1569)
- 一条通北、新町通と西洞院通との間(現在の元真如堂町)へ移転
- 天正15年(1587)
- 京極今出川に移転
- 元禄6年(1693)
- 神楽岡旧地の西南(現在地)に戻る
そして、当時の住持二十八世尊通大僧正の尽力によって、元禄16年(1703)に本堂上棟、宝永2年(1705)には現在の伽藍が建立されるに至りました。
日本映画ロケーションの草分け
京都映画誕生の碑
「日本映画の父」と呼ばれ日本映画創成期に活躍した牧野省三は明治41年(1908)、その第1作となる「本能寺合戦」を監督して撮影し、我が国初の時代劇映画を世に送り出しました。その撮影地ともなった真如堂の境内には、2008年10月、京都で映画が製作されてから100周年を記念した碑が建てられています。
碑の台座には、碑文と建立寄付者名が刻んであります。建立寄付者名には、日本を代表する俳優の方々の名が数多く見受けられます。
その後も真如堂は、初期の映画で、尾上松之助主演の「義経千本桜」や「忠臣蔵」の映画などにも登場しました。
万霊堂(ばんれいどう)-真如堂-
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 正式名 | 鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざんしんしょうごくらくじ) |
| 別称 | 真如堂 |
| 所在地 | 京都市左京区浄土寺真如町82 |
| 山号 | 鈴聲山 |
| 宗派 | 天台宗 |
| 本尊 | 阿弥陀如来(重要文化財) |
| 創建年 | 永観2年(984) |
| 開山 | 戒筭上人(かいさんしょうにん) |
| 文化財 |
|
【境内概観図】※図の操作については下記をご参照ください。
【マップ掲載番号の説明】
- ※
- 図中の右上に表示されている「地図」をクリックして、その下に表示される「航空写真」をクリックし、図を拡大表示する(下記「マップの操作について」参照)とよりはっきりと見ることができます。
- 山門
- 鎌倉地蔵堂
- 鐘楼
- 本堂
- 赤崎弁財天堂
- 本坊
- 薬師堂(※)
- 元真如堂(※)
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近隣の観光スポット情報
キーボードにある「F5」キーを押した後、上記【境内概観図】の中の左上に表示されているマイナス(−)ボタンを2回クリックすると真如堂の南に隣接するように金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があることが分かります。金戒光明寺は通称「くろ谷さん」と親しみをこめて呼ばれます。金戒光明寺は法然が最初に浄土宗の布教を行った地であり、浄土宗七大本山の一つです。
更にマイナス(−)ボタンをもう1回クリックすると、左下(南西方向)に平安神宮、右上(北東方向)には法然院、銀閣寺(慈照寺)(哲学の道もこの辺りです)、右下(南東方向)には一寸見え難いですが禅林寺(永観堂)があります。
この地には昔から庶民に歌い継がれてきた
ああ真如堂(ああ、しんどいなあ)
飯黒谷さん(ご飯、たべたかな)
ここらで一ぷく永観堂(ここらで一服ええだろう)
お茶漬けさらさら南禅寺(お茶漬けさらさら、何杯や)
というわらべ歌があります。


