
宇治橋から望む宇治川上流
宇治川と宇治橋
滋賀県大津市で琵琶湖から流れ出た瀬田川は、周囲の山の間をぬうように流れ、京都府に入る辺りから宇治川と名を変えます。その後宇治川は、木津川と合流した後、やがて桂川とも合流し淀川となって大阪湾へと注いでいきます。
宇治川について『平家物語』では、
白浪(はくらう)おびたたしうみなぎりおち、灘枕(せまくら)おほきに滝なって、さかまく水もはやかりけり。
(川一面に白波が立って流れ落ち、瀬枕は大きく盛り上がって滝のように音を立てて、逆巻き流れる水勢も速かった。)
「巻第九」−宇治川先陣−
と描写されており、今日においてもその川幅は広く水量も豊富で、しかも速い流れを呈しています。
そして、この宇治川に架かっている宇治橋は、大化2年(646)奈良の僧道登(どうと)によって造られたとして伝わり、わが国最古級の橋とされています。現在の橋は長さ155.4m、、幅25mの橋として、平成8年(1996)3月に架け替えられたものです。

宇治川に架かる宇治橋
宇治橋中ほどに張り出した一角は「三の間」と呼ばれ、かつて豊臣秀吉が茶の湯の水を汲ませた場所と伝えられています。毎年10月に行われる宇治茶まつりでは、今もここから水が汲まれます。
景勝の地
源氏物語宇治十帖モニュメント
後に見える朱色の橋は朝霧橋です。
宇治は、奈良時代を通じてその政治的位置が高まって来たとされ、京都と奈良を結ぶ交通の要衝となっていました。そして延暦13年(794)の平安京遷都によって、宇治は一段と都に近づくことになり、平安京と旧都・奈良を結ぶ線上にあったこともあって、以前にもまして交通上の要衝としての重要度は高まっていきました。
更に、貴族の世紀とも言われる10世紀に入って、風光明媚な宇治の自然環境が平安貴族の求める優雅な世界観と合致するところとなってからは、貴族らの別業(別荘)の地として一躍脚光を浴びるようになりました。『扶桑略記』や『今鏡』などでは「風流勝絶」と賞されるほどでした。
藤原頼通によって創始された平等院も、元は、宇治院と呼ばれた別荘でした。それが天皇を始めとしていろいろな人の手を経た後に、頼通の父・藤原道長が譲り受けることになってからは宇治殿と呼んで景勝を楽しんだとされます。
また宇治は「源氏物語」の舞台にもなりました。「源氏物語」54帖の最後の10帖にあたる「橋姫」から「夢浮橋」までは、ここ宇治を主要な舞台に展開されていることから、その名を冠して「宇治十帖(うじじゅうじょう)」とも言われ広く知られているところです。

宇治川に架かる朝霧橋
この橋は歩いてしか渡れません。
宇治公園
宇治橋にほど近い、宇治川に浮かぶ中洲は、宇治公園(風致公園)の「中の島地区」となっています。中の島地区は、橘島と塔の島から成っています。
宇治は度重なる合戦が繰り広げられてきた地でもあり、橘島には、「宇治川先陣の碑」がたっています。寿永3年(1184)1月、朝廷から木曽義仲追討の任を受けた源義経は、宇治川を挟んで木曽義仲と対峙します。時期的に雪や谷々の氷が解け、宇治川の水かさが増え流れも強くなっていたためどう対処したものか義経が思案していたところに、義経配下にあった佐々木四朗高綱(たかつな)と梶原源太景季(かげすえ)が先陣争いをして馬を激しく走らせながらやって来ました。そして、策に長けた佐々木四朗高綱が僅かに先に、馬に乗ったまま宇治川へ飛び込み、一直線に宇治川を渡って向こう岸にあがったのでした。
佐々木鐙(あぶみ)ふんばりたちあがり、大音声(だいおんじょう)をあげて名のりけるは、 「宇多天皇より九代(くだい)の後胤(こういん)、佐々木三郎秀義(さぶらうひでよし)が四男(しなん)、佐々木四朗高綱、宇治河の先陣ぞや。われと思はん人々は高綱にくめや」とて、をめいてかく。
(佐々木は鐙を踏んばって立ち上がり、大声をあげて名のりをあげる。「我は宇多天皇から九代の子孫、佐々木三郎秀義の四男、佐々木四朗高綱、宇治川の先陣だぞ。我こそはと思う人々があれば、この高綱と勝負しろ」と、大声をあげて敵陣に突入した。)
『平家物語』「巻第九」−宇治川先陣−
先陣争いは佐々木四朗高綱がとり、これを機に義経軍は宇治川を渡河して、激戦の幕が切っておとされたのでした。この合戦では義経軍が義仲軍を打ち破ったと伝わっています。「宇治川先陣の碑」は、これに因んで昭和6年(1931)に建てられたものです。

宇治川先陣の碑
宇治川を流れる水音だけが聞こえる程の静かなところですが、かつては激しい戦いが繰り広げられたところでもあります。
一方、塔の島には、高さが15メートルといわれる石造の浮島十三重塔(うきしまじゅうさんじゅうのとう。重要文化財。)が高くそびえています。この十三重石塔は、現存する石塔としてはわが国最大のものとされており、鎌倉時代後期の弘安9年(1286)に西大寺の僧・叡尊律師によって建立されたものと伝えられています。朝廷の命により宇治橋の修復に携わった叡尊律師は、同時に、宇治川一帯でおこなわれていた網代漁を禁止しました。そして漁に使われていた木具や漁具を埋め、その上に建てられたのがこの十三重石塔でした。魚霊の供養と宇治橋の安全を祈ったものと伝えられています。
現在のものは、明治時代末期に修造されたものとして受け継がれています。

浮島十三重塔(重要文化財)
また、夏の季節がやってくると、宇治公園の中の島地区周辺では、平安時代にはすでに行われていたとして伝わり、夏の風物詩ともされる、宇治川の鵜飼が開催されます(2012年…6月16日(土)〜9月23日(日))。鵜匠と鵜が織りなす絶妙な世界は見ものです。

宇治川鵜飼の主役
海鵜が翼を広げて乾かしているのが見えます。
世界遺産
宇治神社参道入り口
宇治川に浮かぶ宇治公園、中の島地区の橘島を真中に、宇治川の右岸には宇治上神社、左岸には平等院があります。共に世界遺産として登録されています。宇治上神社は、別荘であった宇治院が平等院と改まってからは平等院の鎮守として崇敬されてきた神社でもあります。
また宇治上神社から宇治川寄りには、宇治上神社が離宮上社(かみしゃ)と呼ばれたのに対し、離宮下社(しもしゃ)とも呼ばれた宇治神社もあります。
宇治川に架かった宇治橋界隈は、名勝・史跡に恵まれ、独特の風情が漂っているところでもあります。

紫式部像
ここを写真右手に行くと、ほどなくして平等院に着きます。
【概観図】
※図の操作については下記をご参照ください。
【図中番号の説明】
- ※
- 図中の右上に表示されている「地図」をクリックして、その下に表示される「航空写真」をクリックし、図を拡大表示する(下記「マップの操作について」参照)と、より具体的に見ることができます。
- 宇治川
- 宇治橋
- 紫式部像
- 平等院表参道
- 平等院
- 橘橋
- 橘島
- 宇治川先陣の碑
- 宇治川しだれ桜
- 中島橋
- 塔の島
- 浮島十三重塔
- 喜撰橋
- 朝霧橋
- 源氏物語宇治十帖モニュメント
- 宇治神社参道入り口
- 宇治神社
- 宇治上神社
- 源氏物語ミュージアム
- 京阪電車宇治駅
マップの操作について
- マップの上でマウスを任意の方向に動かす(ドラッグする)と表示範囲が変わります。
- マップの左にある+(プラス)ボタンをクリックする毎にマップが拡大され、−(マイナス)ボタンをクリックする毎にマップが縮小されます。
- 図の右上にある[地図]のボタンをクリックすると地図タイプを切り替えることができます。
- 非表示にした吹き出しを再度表示するには、赤いアイコンをクリックして下さい。
- 最初の状態に戻すには、キーボードのF5キーを押下してください。
近隣の観光スポット情報
源氏物語ミュージアムは国内唯一の源氏物語に関する博物館です。宇治上神社前のさわらびの道を歩いて行くと訪れることができます。
宇治橋から府道7号線に沿って北の方へ行くと、その沿道から東の方に少し外れますが、三室戸寺、萬福寺があります。


