
京都御所の外側から見た建礼門
延暦(えんりゃく)13年(794)、桓武(かんむ)天皇が都を京都盆地に遷(うつ)し、東西約4.5km、南北約5.2kmの規模で造営され、碁盤目状の条坊制による都城制がしかれた平安京を築きました。(下記「平安京と京都御所の見取図」参照)
この碁盤目状に区画された平安京の北部中央に東西1,174m、南北1,393mの長方形の領域がつくられ、大内裏(だいだいり)、つまり平安宮と呼ばれました。平安宮の南部には朝堂院(ちょうどういん)や豊楽院(ぶらくいん)といった政務や国家的な饗宴などを行うための諸官庁が置かれ、北部には皇居の内裏(だいり)が配置されていました。
京都御所はこの平安京の宮殿としてつくりあげられた平安宮の伝統を受け継ぐものとして今日その姿を残しています。
普段は宮内庁へ参観申請をすることで京都御所内を参観出来るほか、春(4月上旬)と秋(10月中旬)の年2回一般公開されています。
内裏(御所)の変遷

南庭を囲む回廊
平安京遷都時に造営された平安宮(大内裏)は、今日の京都御所の位置には立っていませんでした。平安宮の位置は、京都御所より西へ約1.7km、南へ約0.4km行ったところにあったとされています。(下記「平安京と京都御所の見取図」参照)

平安京と京都御所の見取図
江戸時代には、明治2年の東京遷都まで、約200もの宮家や公家の屋敷が並んでいたといいます。東京遷都後は、屋敷は取り払われ、御苑化されました。現在は国民公園として開放されています。苑内に約5万本といわれる樹木が生育する広大な緑の空間は、散策や休養など、憩いの場所として利用されています。
京都御苑は環境省の管轄になっています。
平安京遷都当初の平安宮は160年余り存続していましたが、貞観(じょうがん)18年(876)に朝堂院の正殿である、大極殿(だいごくでん)が炎上してしまいます。その後、天徳(てんとく)4年(960)には平安京遷都以来初めて内裏さえ焼失してしまうという事態が起きました。
このような状況の中、円融天皇は、貞元(じょうげん)元年(976)、関白藤原兼通(ふじわらのかねみち)の邸宅「堀川第(だい)」に行幸、一年間の仮の皇居としました。これは里内裏(さとだいり)と呼ばれました。里内裏とは平安宮の被災時の臨時の皇居(内裏)を指すもので、このとき初めて「里内裏」という呼称が生まれたといわれています。
平安京遷都後には内裏焼亡や再建のほか里内裏の焼亡等にあうと、この例のように、内裏は京内を転々と移動していたのでした。
鎌倉時代に入って平安宮の内裏が焼亡すると、その後内裏は再建されることはなくなってしまいましたが、14世紀末の南北朝時代になって、内裏となる場所が現在京都御所のある地に定まることになります。
それは、高倉天皇が治承(じしょう)4年(1180)の譲位後に住んだ邸であり、また里内裏のひとつでもあった土御門東洞院(つちみかどひがしのとういん)(高倉殿(たかくらどの))で、北朝の光厳(こうごん)天皇が元徳(げんとく)3年(1331)に即位されたところでもありました。これを機に、以後、内裏は他の場所へ移ることなく、この場所が正式な内裏(御所)として定着することになったのでした。現在の京都御所の位置がほぼこれにあたります。
近世に入り、安土桃山時代の天正(てんしょう)17年(1589)、豊臣秀吉が内裏の修理に着手します。そして、その内域に紫宸殿(ししんでん)、御常御殿(おつねごてん)などが復元されることになります。
次の江戸時代にはまたもや内裏の焼失と再建が繰り返されますが、寛政(かんせい)2年(1790)、老中松平定信(まつだいらさだのぶ)が、有職故実(ゆうそくこじつ。古来の朝廷や武家の儀式・礼法の典型的方式。)の研究家、裏松光世(うらまつみつよ)が著わした「大内裏図考証」に基づき、平安京の内裏の姿に近い寛政度内裏を完成させます。しかし、安政(あんせい)元年(1854)、京都御所の南東にあった「大宮御所」からの出火によりまたもや類焼失してしまいます。
そして、翌安政2年(1855)、再度徳川幕府により、前回行った寛政度内裏の様式、規模に従って内裏が完工されます。これは徳川幕府による最後の内裏再建となりましたが、ここに現在の京都御所のたたずまいが出来上がったのでした。
幕末の歴史が動く舞台となった京都御所

紫宸殿と左近の桜
幕末の慶応(けいおう)3年10月14日(1867年11月9日)、江戸幕府第15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)によって、朝廷に政権返還を上奏し、翌15日、明治天皇がこれを勅許するという、大政奉還がなされました。これは250年以上にわたって続いてきた江戸幕府の終焉を象徴するできごとでした。
ただ、徳川慶喜の意図は、朝廷には政権を返上されたとしても政権を運営する能力も体制もないため、形式的に朝廷に一旦政権を返上しても、明治天皇下での新政府に参画すれば、当時幕府の権威が急速に衰えていたとはいえ、他を圧倒する勢力をもってすれば徳川家による実権を掌握し続けることができる、と考えていたと見られています。
しかし,これを察知した長州・薩摩の朝廷方(大久保利通(としみち)、西郷隆盛(たかもり)、木戸孝允(たかよし))や倒幕論者であった公家の岩倉具視(いわくらともみ)らは,徳川家の無力化を図って,慶応3年12月9日(1868年1月3日)、明治天皇臨御の下、京都御所の御学問所(おがくもんじょ)において「王政復古の大号令」を発しました。
これは、摂政・関白・江戸幕府など旧制度を廃止する、天皇を中心に総裁・議定(ぎじょう)・参与(さんよ)の三職を設置して政治を行う、などとして新政権の樹立と天皇親政を宣言したものでした。
そして同日9日の夜、さっそく新設の三職を、御学問所とは渡り廊下を隔てて隣同士にある小御所(こごしょ)へ召集し、「小御所会議」が開かれました。この会議では、明治天皇臨席のもと徳川家の処分をめぐって激論が展開されることになります。
徳川慶喜は、大政奉還から10日後の10月24日に将軍職を辞していましたが、内大臣の地位にあり、小御所会議が行われた当時は二条城にいました。が、この会議には呼ばれていませんでした。そのため、前土佐藩主・山内豊信(やまのうちとよしげ)、前越前藩主・松平慶永(まつだいらよしなが)、土佐藩士・後藤象二郎(ごとうしょうじろう)らの、この会議は陰険で公明正大さに欠けるという主張に対して、公家・岩倉具視や薩摩藩士・大久保利通ら倒幕派はこれを断固拒否して徳川慶喜が辞官・納地に応ずることが前提だ、とする激しい主張合戦の場となりました。会議の趨勢は一時、徳川慶喜擁護に傾きつつあったといいますが、岩倉具視が頑強に攻め立ててその覚悟の程を示したことから、岩倉具視・大久保利通らの主張に従うことになったのでした。
その結果、徳川慶喜の辞官・納地、すなわち内大臣職の辞退、および当時日本の4分の1程を占めていたとされる徳川家領地の返上、を命ずることを決定しました。
小御所会議から3週間を過ぎた慶応4年1月3日(1868年1月27日)には、徳川慶喜の処分を巡ってせめぎ合いを続けてきた倒幕派と幕府方との間で鳥羽・伏見の戦いという武力衝突が起ります。この戦いで徳川慶喜は朝敵とされ、結果は倒幕派の勝利に終わっていますが、この鳥羽・伏見の戦いをはじめとして、日本国内の各地で明治新政府側と旧幕府側との一連の戦いが起こります。戊辰(ぼしん)戦争です。戊辰戦争は、翌年の明治2年5月18日(1869年6月27日)の五稜郭(ごりょうかく)(現函館市)における戦いまでほぼ1年半にわたって繰り広げられました。
戊辰戦争で明治新政府側が勝利したことで、明治新政府による政治体制が確立されることになります。
これ以降、明治政府が日本を統治する政府として国際的にも認められることとなり、政治的、経済的、社会的、文化的な一大変革が行われた明治維新によって、近代的な国民国家の建設が進むことになったのでした。
写真集(48枚の写真が表示されます。)
昇殿(しょうでん)を許された者が参内する時に使われる玄関。
【京都御所案内マップ】※図の操作については下記をご参照ください。
【マップ掲載番号の説明】
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- 京都御所内は一般公開で参観できるものを掲載しています。
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- 図中の右上に表示されている「地図」をクリックして、その下に表示される「航空写真」をクリックし、図を拡大表示する(下記「マップの操作について」参照)とよりはっきりと見ることができます。
- 宜秋門(ぎしゅうもん)(一般公開入口)
- 御車寄
- 諸大夫の間
- 新御車寄
- 月華門
- 承明門
- 建礼門
- 建春門
- 春興殿
- 宣陽殿
- 日華門
- 南庭
- 左近の桜
- 右近の橘
- 紫宸殿
- 清涼殿
- 呉竹
- 漢竹
- 東庭
- 小御所
- 蹴鞠の庭
- 御学問所
- 御池庭
- 欅橋
- 御内庭
- 御常御殿
- 御三間
- 御台所跡
- 清所門(せいしょもん)(一般公開出口)
- 京都御苑
- 蛤御門(※1)
- 仙洞御所(※1)
- 糺の森(※2)
- 賀茂御祖神社(下鴨神社)(※2)
- 相国寺(※2)
- 二条城(※2)
- 鴨川(※2)
- 平安神宮(※2)
図の操作について
- 図の上でマウスを任意の方向に動かす(ドラッグする)と表示範囲が変わります。
- 図の左にある+(プラス)ボタンをクリックする毎に図が拡大され、−(マイナス)ボタンをクリックする毎に図が縮小されます。
- 図の右上にある[地図]のボタンをクリックすると地図タイプを切り替えることができます。
- 非表示にした吹き出しを再度表示するには、赤いアイコンをクリックして下さい。
- 最初の状態に戻すには、キーボードのF5キーを押下してください。
近隣の観光スポット情報
上記【京都御所案内マップ】をご参照ください。


