
見晴らし台入口
創建から実に1300年の月日が流れ、名勝嵐山の中腹に位置する法輪寺(ほうりんじ)。
平安時代には、清少納言(せいしょうなごん)の『枕草子(まくらのそうし)』においても「寺は」で始まる段でも採り上げられ、隆盛を誇ったといいます。
境内からは遠方に山々を眺め、また眼下には大堰川(おおいがわ)(桂川)に架かる渡月橋を見下ろすことができます。
創建〜行基〜
和銅(わどう)3年(710)、第43代元明(げんめい)天皇(女帝)は平城京に遷都し、奈良時代が始まります。
その3年後の和銅6年(713)、法輪寺は、元明天皇の勅願により、行基(ぎょうき)によって「葛井寺(かずのいでら/かどのいでら)」として創建されたと伝えられています。
行基は、飛鳥(あすか)時代も末に近い天武(てんむ)天皇11年(682)、当時の都であった飛鳥(現在の奈良県高市郡明日香村付近)に出て15歳で出家し、道昭(どうしょう)に師事します。道昭は、入唐(にっとう)して玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の教えを受けたことで知られている人です。その玄奘三蔵は三蔵法師(さんぞうほうし。固有名詞ではなく一般名詞。)とも尊称され、数ある三蔵法師のうちの一人で、小説『西遊記』の三蔵法師のモデルともなった人です。
道昭は行基を伴って村から村へと出かけ、村人を集めては仏教の教えを説き、一方では、橋がなくて困っている村では橋の架け方を教えて橋を架け、井戸がなくて困っている村では井戸の掘り方を教え、またある時は、舟の作り方まで教えたといいます。道昭はその家系からそういった技術を持っていたと考えられています。
一方、行基は灌漑土木工事の技術を持っていたようで、加えて道昭について回ることで先述した架橋などの技術をも吸収していったと考えられています。この事が後の行基の活動に大きく活かされてくることになるのです。
そして、文武(もんむ)天皇4年(700)、行基が33歳の時に師の道昭が72歳でこの世を去ります。
その後も行基は師の道昭にならって、寺で修行を積むだけでなく実際に困っている人たちの役に立つことが自分に与えられた使命であると考え、集団を形成して近畿地方を中心に村から村へと旅をしては伝道はもとより貧民救済をはじめ橋、農業用のため池、洪水を防ぐための堤防を造るなど、社会事業に力を尽くしたのでした。
こういった噂は広まり、行基の訪れた先では人々は喜んで出迎えます。いつしか「行基菩薩」とまで呼ばれるようになり、行基は人々から慕われるまでになります。
元明天皇の勅願により行基をもって法輪寺が創建されたのはそのような時期だったと考えられます。
しかし、こうした状況を快く思わなかったのが当時朝廷で実力を誇っていた藤原不比等(ふじわらのふひと)でした。民衆を煽動する人物であると疑われたこと、また当時は国の認めた寺院以外での布教活動が禁じられており(僧尼令(そうにりょう))、これに違反するとされたことから、養老(ようろう)元年(717)、朝廷は行基の活動を禁止します。
しかしそれでも行基は密かに伝道と社会事業を続けます。
3年後の養老4年(720)に不比等が病死した後には、行基の活動が「反政府」的な意図を有したものではなく、その活動は社会に貢献していると朝廷が判断したことなどから、行基に対する取り締まりは緩んでいくことになります。
神亀(じんき)元年(724)、第45代となる聖武(しょうむ)天皇が即位します。聖武天皇は仏教に深く心を寄せていたこともあり、世のため人のために尽くす行基の活動に深く感銘を受け、宮中に招くこともありました。
聖武天皇は、皇族と貴族との対立や貴族内諸氏の対立(藤原氏vs橘氏他)などといった朝廷内での対立をはじめ、国内の各地で起る疫病や飢饉などに心を痛め、国が平穏に治まるようにとの願いから、天平(てんぴょう)15年(743)、東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう。奈良の大仏。)の建立の詔を出し、その協力を行基に依頼します。それは、これまでの40年余りの中での伝道と社会事業を通して培ってきた行基の民衆を組織する手腕に大きな期待があったものと見られています。
行基は既に76歳となっていましたがこれを引き受けます。そして弟子を引き連れて国中を旅し、大仏づくりに参加したり、寄附したりするように呼びかけて回ったのでした。
その効果は大きく現れ、いっそう大仏造営に行基を励ますべく、天平17年(745)正月21日、行基は朝廷より仏教界における最高位である「大僧正(だいそうじょう)」の位を日本で最初に贈られたのでした。
伝道と社会事業にその一生を尽くしてきた行基は、天平21年(749)2月2日の夜、平城京の右京(うきょう)にかつて造った道場(小さな寺)で四十九院(しじゅうくいん)の一つである菅原寺(すがわらでら)(現喜光寺(きこうじ))でその一生を閉じています。82歳。
奈良の大仏が出来上がる3年前でした。
中興〜道昌〜
その後、創建から1世紀以上過ぎた天長(てんちょう)6年(829)、法輪寺は道昌(どうしょう)によって中興されることになります。道昌は空海の弟子として知られている人です。
現在、法輪寺の見晴らし台に出ると眼下に渡月橋を望むことができますが、元は法輪寺橋と呼ばれ、承和(じょうわ)年間(834〜848)に架けられたとされます。当時は現在の渡月橋の位置よりももう少し上流にあったとされています。
この法輪寺橋を架けたのが道昌です。
当時、大堰川が氾濫したことで、道昌がその堤防を築くとともに橋を架けたのでした。また、船筏の便を開いたともいいます。
道昌がこれらの工事に着手しようとしたところ、人々が自然と集まり、工事はあっという間に完成したのでした。この時涙をぬぐいながら言った老人のことばが「今またこうして行基菩薩にお会いすることができるなんて」として伝えられています(『元亨釈書』)。
それから四百数十年以上経った鎌倉時代中頃、亀山(かめやま)上皇(1249年7月〜1305年10月)がその橋の姿を「くまなき月の渡るに似たり」と例えたことから、今日では広く知られる「渡月橋」と呼ばれるようになり、嵐山の風光明媚な景観を構成する一つとなっています。
先に挙げた『元亨釈書』(げんこうしゃくしょ)は、東福寺、南禅寺などの住持を歴任した虎関師錬(こかんしれん)が、仏教伝来以来鎌倉後期までの700余年に及ぶ僧侶の伝記や仏教史を記した日本初の仏教通史で、鎌倉時代にできたものです。その中には、また、道昌について次のような話が伝えられています。
天長7年(830)、宮中に召された道昌は淳和(じゅんな)天皇より質問を受けます。
「料理のために生類(しょうるい)を殺生した罪は、帝王と臣下のどちらが重いだろうか?」
道昌は答えます。
「帝王が重いでしょう。」
これを聞いた天皇はそのまま口をつぐんで考え込み、しばらくしてから、道昌に尋ねます。
「帝王の罪が重いというが、どうしてなのか」
と。
道昌が答えます。
「天子の召し上がる一膳を献上するのに、多くの禽獣(きんじゅう)の殺生が行なわれています。にもかかわらず食膳にのぼるものは少ないのです。
一方、臣下の場合はそうではありません。山や海にも禁令がしかれているため、生き物の捕獲は勝手にはできません。たまに獲物が捕れたとしても、それは、わずかに食欲を満たすにすぎないのです。彼等が罪を受けるとしても、どうして帝王より重いはずがありましょう。」
これを聞いた天皇は食事を簡素化させて倹約を行い贅沢のための殺生を戒める一方で、捕獲の禁令を緩和させたといいます。
また、ある日道昌が坐禅を組んでいたところ、その衣服の袖の上に虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)が現れます。そこで道昌は袖を切り取ってこれを絵図に写し、法輪寺に安置したといいます。
貞観(じょうがん)16年(874)には伽藍が整えられ、寺号も「法輪寺」と改められました。(寺号が法輪寺と改められた時期については、貞観10年、同12年といった説もあります。)
写真集(26枚の写真が表示されます。)
渡月橋の先にある嵐山中腹に法輪寺の多宝塔が小さく見えています。
写真手前に見える石碑は『平家物語』の「小督(こごう)」にでてくる「琴きき橋」に因むものです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 別称 | 虚空蔵法輪寺、嵯峨虚空蔵、嵯峨の虚空蔵(こくぞう)さん |
| 所在地 | 京都市西京区嵐山虚空蔵山町68 |
| 山号 | 智福山 |
| 宗派 | 真言宗五智教団 |
| 本尊 | 虚空蔵菩薩 |
| 創建年 | 和銅6年(713) |
| 開基 | 元明天皇 |
| 開山 | 行基 |
| 文化財 |
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【境内概観図】※図の操作については下記をご参照ください。
【マップ掲載番号の説明】
- ※
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- 裏参道入り口
- 人形塚
- 山門
- 表参道
- 電電塔
- 電電宮
- 本堂
- 多宝塔
- 見晴らし台
- 渡月小橋(※1)
- 嵐山公園中之島地区(※1)
- 大堰川(桂川)(※2)
- 渡月橋(※2)
- 琴きき橋跡碑(※2)
- 嵐山公園臨川寺地区(※2)
- 小督塚(※2)
- 天龍寺(※3)
- 嵐山公園亀山地区(※3)
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近隣の観光スポット情報
上記の【境内概観図】をご参照ください。


