
高瀬川源流庭園
京都市街を南北に走る通りの一つである木屋町通(きやまちどおり)の北の始点となる二条通から入ってほんのすぐのところにある高瀬川二条苑。
そのすぐ東側を鴨川が流れ、そこからひかれた水は高瀬川の源流として庭園の中心部を流れています。
角倉了以別邸跡
天正(てんしょう)20年(1592)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の朱印船貿易の開始とともに安南国(今のベトナム)と貿易して巨万の富を築き上げた京都嵯峨出身の豪商として知られる角倉了以(すみのくらりょうい)。角倉了以は土木事業にも力を注ぎ、嵐山のすそ野を流れる大堰川(おおいがわ)(桂川の嵐山付近における別称)をはじめ、徳川家康(とくがわいえやす)に命じられて手掛けた富士川(長野県・山梨県及び静岡県を流れる河川)、天竜川(長野県から愛知県、静岡県を経て太平洋へ注ぐ河川)の開削を行なったことでも知られています。
徳川幕府草創期の慶長(けいちょう)16年(1611)には、運河の開削を幕府に申請し、私財を投じて高瀬川の開削を手掛けたその角倉了以が、同年、その源流となる所に別邸を建てています。高瀬川二条苑は、その別邸に造られた日本庭園です。高瀬川源流庭園とも呼ばれています。
角倉了以は、高瀬川が完成した慶長19年(1614)、その完成を見届けるかのように61才の生涯を閉じています。
またこの庭園には、江戸時代初期、建築・造園にも才能を現したことで知られ、角倉了以(1554年〜1614年)と同時期に生きた小堀遠州(こぼりえんしゅう)(1579年〜1647年)により造られたという茶庭が現存しています。
山県有朋
時代が変わって明治24年(1891)ごろ、明治維新の想い出のある京都が好きだった山県有朋(やまがたありとも)がその角倉邸を購入します。そしてこの邸に名付けたのが「無鄰菴」(むりんあん)です。彼の故郷である長州(現、山口県)の下関に最初の「無鄰菴」が建てられていたことから「第二無鄰菴」として知られています。
山県有朋は「(第二)無鄰菴」の庭園の改修を小川治兵衛(おがわじへえ)に依頼します。これが現在に受け継がれています。
ところで、山県有朋は「(第二)無鄰菴」を所有してから3年と経たないうちにこれを売却します。
そして明治29年(1896)に今度は、南禅寺の西に位置するところに新しく土地を求めます。そしてここに建てた別荘が今日見られる三番目の「無鄰菴」です。山県有朋はこの作庭を再び、先の小川治兵衛に依頼しています。
高瀬川二条苑は、現在は、和食レストラン・がんこ高瀬川二条苑の「高瀬川源流庭園」(出入り自由)となっています。(2014年12月現在)
写真集(27枚の写真が表示されます。)
木屋町通に面した入口。
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- ※
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- 入口
- 二条通
- 木屋町通
- 一之船入
- 高瀬川
- 鴨川
- 河原町通
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